がある。「棋・書」の面は,岩に字を書く人物が「書」を碁をうつ人物らが「棋Jを表している。ここでも全部で十人の唐人物が表され,芭蕉の木,太湖石,色彩豊かな鳥とともに華やかな場面を見せている。「山水jの面は神仙境を思わせる山水風景と意匠化された雲が広がり,両端に蘇鉄,失葬の花などが配されるが,人物は描かれない。この水引は刺繍という材質であるため,下絵の筆法をそのまま伝えるものではなく,下絵が蕪村によるものかは様式からは判断しにくい。そのため,筆法よりもモチーフを中心に,他の蕪村作品と共通する点を以下に挙げることにしたい。「書」の面の左側,岩に向かつて筆をとる人物や後ろでそれを眺める人物は,蕪村筆〈蘭亭曲水図)弄風>(MOA美術館)にも見出されるモチーフである〔図8J (注11)。「画」の面,右に見える「書物を背負った童子」と〈蘭亭曲水図扉風〉左隻右に描かれる童子〔図9J, 1書jの面の中央の何か飲食物を支度している女性の首を傾げるポーズと〈茶蓮酒宴阿扉風>(晴月美術館蔵)の左隻,)弄風の前の女性のポーズも共通している〔図10J。さらに,白く長いひげをたくわえ頭に何かを被る老人(1書」の面)と〈茶荏酒宴図扉風〉右隻の老人の姿など,先に挙げた扉風講時代の中国人物故事を題材にした扉風作品に類似モチーフを多く見出すことができる。)弄風作品に多く認められる丈人雅会という全体のモチーフも蕪村が得意とした画題であり〔図11J,扉風の人物や器物の鮮やかな彩色は刺繍にするにも相応しい題材であったと思われる。蕪村の下絵をどの程度忠実に刺繍したものか蕪村が全ての面の下絵を担当したのかといった疑問点,のちの修理の際に水引に変更が加えられた可能性等を含めて考えてみても,資料の信愚性やモチーフの類似点から鑑みて,少なくとも蕪村作品との共通点が多く見受けられる「書」の面,1画」の面に関しては,蕪村が下絵に関った可能性が高いと考えてよいと思われる。文人雅会というモチーフに対する晴好が,厚手風作品を通じて蕪村を支えた富裕階級の聞において徐々に浸透し,作品を制作する者と受容する者の双方において共有されていったことを,蕪村下絵によるこの下水引は象徴しているのではないだろうか。国,蕪村と山鉾町扉風講ののち,蕪村が鉾の飾りにも携わるようになったことは,蕪村と山鉾町の町衆との関係が深まっていたことを物語っている。その山鉾町における蕪村作品の受容を示す資料となると思われるのが,ここで取り上げる『水円屋伴庄兵衛入札目録j(大
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