注(1) r園華J同号には,藤原氏旧蔵の〈野馬図〉が紹介され,?,原作氏の没後,子息によ(3) 書簡番号218(f蕪村書簡集』岩波文庫,1992年)。本書簡は宛名・署名とも記載さ評価を築いていった過程について,初期扉風作品を中心に考察を行った。蕪村が帰京してまもなく制作した扉風作品は,扉風講によってまず蕪村のパトロンたちに受容され,祇園祭の扉風飾りに象徴される地域の人々との密接な繋がりを通じて浸透し,さらに鉾飾りの下絵にも活かされていく。蕪村が京都の町に受け入れられ,絵師としての名声を確立する上で,)弄風作品はその出発点として大変重要な役割を担っていたことを示すことができたと思う。扉風の大画面に描かれることで,蕪村の新しい様式の絵画は祇園祭という舞台を得て,京都の町に根付くことができた。今後は,蕪村が扉風に展開させた新しい中国画様式についてさらに分析を進め,呉春や景文といった四条派を中心にその後の京都画壇においてどのような展開を見せていったのか考察を進めることを課題としたい。り京都帝室博物館へ寄贈されたことが伝えられている。〈草塵三顧図・粛何追韓信図扉風〉は240号(明治43年,1910)に紹介されている。(2)佐藤康弘「与謝蕪村筆倣銭貢山水図Jf園華Jl1252号,2000年れていないが,寺村家伝来の百池宛の一連の手紙の中にあるため,百池宛と推定されている。また筆跡は蕪村のものであることが本書に記されている。(4) 書簡番号18(f蕪村書簡集J岩波文庫,1992年)(5) 蕪村の俳画の受容については,Mark Moriss氏が詳述している。MarkMorris, ‘Group Portrait with Artist-Yosa Buson and his pa住ons',18th Century Japan: Cul-ture and socieη, C. Andrew Gerstle ed., Sydney: Allen & Unwin, 1989 (6)高橋庄治「蕪村伝記考説Jlp.142 2000年春秋社(7)岩間香「扉風祭の変遷近代から現代へJfまち砥園祭すまい都市祭礼の現(8) f祇園祭』抵園祭編纂委員会・祇園祭山鉾連合会編筑摩書房1976年(9) 下水引の資料に関しては,二資料とも放下鉾保存会寺浦桂子氏に御教示いただいた。同関西学院大学教授河上繁樹先生の御教示による。代J谷直樹・増井正哉編1994年
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