鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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⑪土田萎悟初期の作品について一一「春の歌Jr罰Jr徴税日jにおける明治30年代後半の西洋絵画受容をめぐって一一研究者:関西学院大学大学院研究員上田土田妻悟(1887-1936)の初期の作品について研究を進めてきた(注1)が,本調査研究では「妻悟初期」一明治37年竹内栖鳳塾入門から明治42年京都市立絵画専門学校入学までに制作された作品の中でも特に「春の歌Jr罰JI徴税日J3作に焦点をあてて研究を行った。これら3作は,社会画の内容を持った現実味あふれる画風で,当時非常に新鮮な作品として注目を浴びたものである。これらの作品について西洋絵画の影響が指摘されている(注2)。佐渡博物館には妻悟初期の写生帖が多数所蔵されており,その中にこれら3作の制作過程を示す写生や下絵,西洋画模写が含まれている。今回そうした佐渡博物館所蔵の麦悟写生帖資料(以下麦悟写生帖)を調査することによって「春の歌JI罰JI徴税日J3作の西洋絵画受容について考察を深めた。これは近代京都画壇における明治30年代後半の日本画の問題のー側面でもある。要俸が栖鳳塾入門後,一躍脚光を浴びたのが,明治40年(1907)京都で開催された第12回新古美術品展で二等賞一席(首席)を獲得した「春の歌J[図1Jであった。「春の歌」は,四曲扉風で,桃の木の下で摘草帰りの幼い少女達が歌を歌っている図である。よく見ると楽しそうな中にも一抹の寂しさが漂っている。一人の手ぬぐいを被った姉やが幼児の手をつないで少女達を連れていることや,その身なりから,並んで歌を歌っている少女達は孤児ではないだろうか。左手に座ってそれを見上げているやや裕福そうな女の子に皆で「春の歌」を聞かせているところかも知れない。そのように考えると本図には社会面的な要素と,歌を歌う一瞬を捉えるという演劇的な性格とを指摘できるだろう。さらに子供の歌う表e情や子供達を画面に水平に並ばせる画面構成,同時代の風俗画としての面白さなどが注目を集めたと考えられる。翌明治41年第2回丈部省美術展覧会(文展)に「罰J[図2Jを出品,初入選で三等賞を得る。小学校の廊下に立たされている子供を描いており二人の男子の表情と泣く女子の身振りから画面中の状況が鑑賞者に容易に伝わってくる。奥行きのない廊下と人物を水平垂直で構成し,左端の教室内の様子を上手く暗示して画面空間を押し広げ文124

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