一125~ている。セピア色の色調で師栖鳳の影響を感じさせるが,作品制作の視点や構成が大胆で画面に演劇性・現実感がもたらされている。続いて明治42年第14回新古美術品展に出品した「徴税日J(図3Jが二等賞二席を受けた。老人,子供,乳飲み子を抱いた母など,貧しい者や弱い者を題材にして社会を描き出そうとする制作意図のより明確な作品である。故郷の役場でヒントを得た後,京都の役場を観察研究し,多数のモデルを用いて写生を行い「京都画壇の思想、上甚だ薄っぺらなる駄作多き中に多少肉と血あるものと確信致し居り候J(注3)と佐渡の恩師に書き送っていることから,委{巷の意気込みが窺える。当時の社会主義の影響もあっただろうが,この時期には社会面といわれるような内容を持った絵画を目指していたと考えられる。「春の歌JI罰JI償税日」は,栖鳳の影響を脱して,自分なりの思想、や現実感の表出を意図した作品であったと言える。これら3作は当時の京都画壇の先輩達に強い印象を与えた(注4)と同時に展覧会で良い成績を収めたことから萎悟は画壇で認められた。当時の作品評を見てみると,I春の歌」は「軍調を破りてよし,兎に角よい出来であ大きな為に散漫に流れ且その頭髪顔面の描寓に依貼があるので落附かないJ(注6), また「徴税日」は「新手法としては案外に苦渋した痕跡がない。ただ全瞳に浅弱で,切賓にこの種目常生活に於ける趣味を感受することの出来ないのは遺憾であるJ(注7)とあり,新しい手法を認めつつ物足りなさや子供の描写を欠点としている。要悟研究においては内山武夫氏によって,これら3作は「京都画壇には見られなかった風俗画しかも豊かな現実感を示すものとして独自性のあるものであった。J(注8) と指摘されている。確かに「春の歌JI罰JI徴税日jは社会面の視点をもった現実感のある絵画で,要{事独向の新しさを示している。けれども全くの独創から生れたのではなく,理論的な背景があった。京都の美学者・中川重麗(注9)は「西洋画学要論」と題して当時『京都美術協会雑誌jに西洋画論を連載しており,社会面について以下のように紹介している。「社会董ハ,ーニ風俗董ノ稿アリ(浮世界ト云フニ同ジ)。要スルニ一般ニ人間生活ノ絶ヘズ同ジキコトノ繰リ返サルルモノヨリ其ノ材料ヲ得来ルモノ,(中略)学校ノ内外ニ於ケル男女ノ童ヨリ,家庭ニ於ケル趣,遊戯セル趣二至ルマデ,殆ド遺スモノアラるJ(注5)と非常に好評である。「罰Jは[董題も好く筆も壮健だが只董幅が飴りに
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