3,降魔脇からの誕生という記述と異なっている。左脇誕生の表現は険西省の作品と考えられる北親永平3年(510)宰氏六人造碑像(注8)にも見られ,中原西部に生まれた極めて民間的な表現といえよう。次の九龍濯水の場面で、は,太子が蓮台上に立っている。通常,濯水場面は経典に説かれるように太子が机の上に立つ表現が一般化したが,この蓮台上に立つ表現は七歩というエピソードに語られる蓮華を取り入れたものと考えられる。太子の上方に一身九頭の龍が側面的に表され,9つの龍頭は傘蓋のように配される。類似する表現は台北の個人蔵の,険西省の様式に属する北説末頃の碑像(注9)に見られ,それは中原西部地方において北謀末頃に流行した造形と思われる。中層右側の下部は降魔の場面である。仏伝図では降魔は菩薩成道の重要なーコマとして重視される。この降魔場而は左右2つの部分に分かれ,左側は結蜘扶仏を中心にし,右側は3人の魔女が誘惑する表現である。この図像は雲岡第10窟主室南壁西部第三層の降魔図(注10)の表現を受け入れているが,変更された部分も少なくない。特に,雲岡第10窟の降魔図は仏が触地印のポーズをとって,ガンダーラの伝統と漢訳経典の記述に忠実であるが,この碑像の降魔図は仏が両手で、托鉢を持っており,自由な造形である。4,表現の意図以上,碑像の中層両側には定光仏授記本生図,および乗象入胎・誕生・九龍濯水と降魔の仏伝図が組合わせられている。定光仏授記本生+誕生前後の場面+降魔の構成は,釈迦の一生の聖跡が象徴的に表示されている。その表現は法華経が仏伝記を取り入れて,衆生を教化するために選ばれたと考えられる。法華経では唯一の菩薩大乗を強調して,小乗的な仏伝説話は衆生を成仏の道に進ませるために方便で説法するもので,もともと小乗のテーマである仏伝図は中原地方で法華経の方便説法として表されている。『妙法蓮華経J巻5I如来寿量品JU大正蔵』第9巻42頁中下)に,みなは現在釈迦が出家し,菩提伽耶の道場で成仏したことを述べているが,実際,私(釈迦)は無量劫の前からすでに成仏し衆生を教化していた。私が燃燈仏を含めた様々な因縁・比臨で説くのは,いずれの衆生にも仏の智慧を獲得させるためであると記されている。つまり,定光仏(すなわち燃燈仏)授記本生からの仏伝説話は如来の方便説法であるにすぎず,如来の出家成道は衆生を教化するため5
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