鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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⑫ 大戦間期のハンガリーおよびチェコにおけるアヴ、7ンギャルド芸術運動に関する研究一一一カシャークとタイゲによるタイポグラフィについて一一一研究者:北九州市立大学大学院人間丈化研究科助教授井口寿乃はじめに本研究は,大戦間期の中・東欧地域において,民族や地域を超えて拡大・展開されたアヴァンギャルド芸術運動の全貌を解明する研究の一部にあたる。特に本論では第一次世界大戦終結まではハプスブルク帝国内の公国であり,1918年の帝国崩壊後に新国家として独立したハンガリーとチェコ(チェコスロヴァキア)の芸術運動の関係に注目し,その接点を探求する。特に,同時的に誕生した芸術家の集団は,異なる歴史的・社会的・芸術史の背景から結成されたが,この地域で展開されたそれぞれの活動や芸術理論には共通点が確認される。ここで着目した芸術家運動とその担い手である集団は,ハンガリーのMA(注1)とチェコのデヴィエトスイル(D巴V己ぉi)(注2)であり,それぞれのグループの重鎮であるカシャーク・ラヨシュ(KassakL勾os,1887-1967)とカレル・タイゲ(KarelTeige, 1900-1951)の作品および芸術論を主な分析の対象とする。カシャークもタイゲも共に作家であると同時に,出版物の編集とブックデザインを手掛け,また芸術家集団の代表者として国際的な芸術家のネットワークの要であった。出版物の内容と文章は,それぞれの自国の状況にそったナショナルなものであったが,その構成の方法やタイポグラフィとして表された視覚的な言語はインターナショナルなものを目指していた。つまりこのカシャークとタイゲの作品も,同時代のアヴァンギヤルド芸術において,モホイ=ナジやロシアのリシツキー,オランダのファン・ドゥースブルフのイ乍品にみられるように,タイポグラフイがインターナショナルな視覚言語として画家たちの一課題となっていたという文脈の中で,考察することができるのである。本論文では,カシャークとタイゲの言葉と映像を結ぴつけたタイポグラフィの作品とその理論について検討を行う。l カシャークとチェコ・アヴァンギ、ヤルドカシャークにとって,1919年革命政権崩壊後のウィーンへの亡命は不幸な出来事ではあったが,結果的にその亡命によって,国際的な規模で展開されたアヴァンギャル

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