シャークが1922年に前後して手掛けた詩的なタイポグラフィと同じであった。しかしながら1922年の段階では,タイゲはカシャークのタイポグラフイについて知らなかったのである。1927年,タイゲはウィリアム・モリスによる装飾的なタイポグラフィから,構成主義者のタイポグラフイまでの歴史を概観しながら,現代に必要とされる新しいタイポグラフィの方法を論じた「モダン・タイポグラフィ」を発表する。一方で,デヴイエトスイルが出版した新聞rpasmoj(1924-1926)の1926年4月号(第2巻8号)には,カシャークの「広告とタイポグラフィJ論のチェコ語訳が掲載されている(注14)。また,同紙にはパウハウス叢書に発表したモホイ=ナジの「タイポフォト」をはじめとする主要な論文が掲載されており(注15),加えてタイゲ自身の論文中にも引用されていることから,その背景にカシャークとモホイニナジの影響が認められる。ではタイゲは,タイポグラフイをどのように考えていたのか。雑誌『タイポグラフィ』に発表された「モダン・タイポグラフィjの中で,モホイ二ナジの理論を引用しながら,構成主義に基づいて以下のように述べている。「自由に,すべての字体や大きさ,程度,幾何学的形態,基礎的色彩をつかつて,活字に組んだ文章の弾力性や可変性,新鮮さが成就されるようにするのだ。そのうえ,広告はモホイ=ナジがタイポフォトと明記したタイポグラフィとフォトグラフイの完壁な融合を実現させた。タイポとは,印刷された言葉によるコミュニケーション。フォトとは,視覚的に理解しうる映像手段によるコミュニケーション。タイポフォトとは,視覚的に最も厳密で、完壁なコミュニケーション。(中略)タイポグラフィは視覚的コミュニケーションである。したがって,その法則は光学的な法則に基づかなければならない。J(注16)このタイゲによる「光学的法則に基づく視覚的コミュニケーション」の考え方は,すでに1925年にモホイ=ナジが提唱したこと(注17)であり,タイゲの新しい発見というわけではない。モホイ二ナジは,写真と映画の数々の実験と製作の経験を通じて,映像と言語によるコミュニケーションの方法を探究した結果,視覚的に最大の効果がある伝達方法としての「タイポフォト」という,これまでにない表現領域を確立したのであった。タイゲはこのモホイ=ナジの造形概念を引用しつつ,Iポエテイズムjのコ4 タイゲによる「タイポグラフィ」論
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