注DISKJl (注20)においてであった。このrDISK.Iのタイトル頁では,彼自身の説明(注21)にあるように,日本の旗「日の丸jを引用した大きな円が画面の上部に置かれ,確実にそこに人の視線が集中するように作られている〔図4)。1927年10月には機関誌fReDJl(Revue Dev己tsil)が創刊され,1931年まで刊行された。いまひとつのタイゲが出版物のデザインに関わった背景には,タイゲがヤン・フロメクのオデオン杜にタイポグラファー兼翻訳家として雇われたことが大きく関係している。このオデオン社では,デヴィエトスイルが解散する1931年までに,約130冊の構成主義的なデザインの本が出版されている(注22)。一連のタイゲによるタイポグラフイのうち,構成主義の作品として,サイフェルトの詩集『電信の波の上でNavlnach T. S. F. Jl (1925年)[図5),ネズヴァルの詩集rAbeced己アルファベット.1(1926年)〔図6),ビーブルの詩集fslodi jez dovazi C司akavu紅茶とコーヒーを運ぶ船とともにJl(1928年)[図7)などがあげられる。中でも特に重要な仕事は,ヘルベルト・バイヤーによるユニバーサル書体のアルファベットを修正した書体(注23)を考案したもので,これは,a, g, k, x,の各文字の形をわずかに修正し,ユニバーサル書体の特徴で、ある丸みを帯びた形に統一牲を与えている〔図8)。このようにタイゲのタイポグラフイ論の背景には,モホイ=ナジやバイヤーのパウハウスで行われた実践が関係していると言える。おわりに以上のように,Iポエテイズム」に集約されるタイゲの功績は,同時代の中欧諸国に拡張していったアヴァンギャルド芸術運動の一端として捉えることができる。このように,ハンガリーιチェコの異なる地域・空間において,同様の方向性を持ちえたことは,言語表現と視覚表現の異なる領域を統合すること,つまり従来の芸術の枠組みそのものを解体し,再統合しようとするアヴァンギャルドに共通の造形精神であったといえる。(1) MAの活動およびその内容については拙書『ハンガリー・アヴァンギャルド:MAとモホイ=ナジ』彩流杜,2000年を参照。(2) チェコのアヴァンギャルド芸術グループ「デヴイエトスイル」は,第一次世界大141
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