フォンテーヌブロー派のロッソ・フイオレンティーノの有名な素描や〔図2J,プッサンの友人テオドールの父ヤコプ・マタムの版画〔図3Jにもその例を見ることができる(注12)。ボッテイチェリの作品については幾つかの解釈があるが,ルクレテイウスの『物の本質についてJを典拠とするヴィーナス(愛)によるマルス(戦い)の武装解除,すなわち平和の寓意という解釈が代表的である(注13)。武装解除の意味はマルスの武具を玩ぶサテュロスによっても表されている。16世紀の作例では,密会の舞台が野外から閏房に変わり,物語の官能的側面が強調されている。しかし,閏房内でもマルスの武具で遊ぶプットが描かれていたり〔図2,3 J,さらに,マタムの版画〔図3Jのように平和の寓意を意味する銘文を伴う例もあることから,これらの作品にも,ボッティチェリ同様,平和の寓意が込められていたことは間違いない。この種の銘文がマタムの版画以外にも見られることは,寧ろ,マルスとヴィーナス密通の主題を平和の寓意とするルクレティウス的解釈が,当時において一般的なものであったことを示していると言えよう。そして,フランスにおいても,プレイヤード派詩人達へのルクレテイウスの大きな影響が指摘されているほか(注14),モンテーニユが,ルクレテイウスの冒頭部分,正にヴィーナスとマルスの箇所を『エセー』に引用していることなどから(注15),当時,ルクレテイウスが広く知られていたと看倣すことができる。以上の諸点,すなわち,ヴィーナスとマルスの密会という場面が持つ伝統的な寓意的意味,プット達に与えられた武装解除の役割,16世紀におけるルクレテイウス的寓意解釈の広がり,といった点を総合すると,このプッサンの作品もまた,愛の勝利と平和の寓意を表現したものと考えられる。これは,プッサン周辺の知識人サークルでは誰もが熟知していたであろうプラトンの「饗宴Jやフィチーノの「饗宴注解1プツサンが参照したとされるマクロビウスの『サトゥルヌス祭』にも,マルスの暴力を和らげるヴィーナスという解釈が記されていることからも補強されるであろう(注16)。一方,図像表現についてみると,プッサンの作品は,ボッテイチェリとも,閏房のマルスとヴィーナスの図像伝統とも異なる独自のものである。それはまた,ルクレテイウスのマルスとヴィーナスの描写(注17)そのままを描いたものでもない。パウムシュタルクは,ルーペンスの〈マルスとヴィーナス>(1617年,東プロイセン,ケーニヒスペルク城旧蔵,消失)の複製版画〔図5Jを,この作品の視覚上の着想源として指摘した(注18)0 2つの作品は,脆くマルスのポーズが異なるものの,舞台が野外で148
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