繋がりを斬るばかりでなく,生と死を離れることをも意味していると考えられる。3,童子布施および思惟菩薩上層右側〔図6Jのt部には左に童子布施,右に思惟菩薩が表されている。童子布施の場面では仏が宝蓋の下に側面向きに立ち,右下方では童子の一人が両手を地面につけて腰を屈め,他の童子がその上に乗り,背を伸ばして仏に手を差し伸べている。従来の研究では,雲間石窟におけるこのような図像をアショーカ施土因縁図としている(注12)。しかし,筆者の考察によれば(注13),それはもともとのアショーカ施土因縁図に見られる童子布施の表現形式が借用され,定光仏授記説話の授記成仏という内容を取り入れ,童子の受記成仏の図像となる。定光仏授記本生説話による基本形の定光仏授記本生図は菩薩受記の表現であり,アショーカ施土因縁説話による変化形の定光仏授記本生図は一般人受記の表現で,強調された授記の対象は違うが,両者とも法華経の一切衆生に授記する図像としている。麦積山第10号碑像では三童子布施図像の右側に樹下思惟菩薩があり,両者は一つのセットをなしていることが興味深い。類似する表現に第9窟前室東南隅上層の例が挙げられる(注14)0 r妙法蓮華経』巻2r信解品J(r大正蔵』第9巻18頁中)に記された,釈迦仏は小乗の声聞人を成仏の道に進ませるため,彼らに大乗法を説く。声聞人はその法を聞いて菩薩となり,昼夜に修習して思惟する。すると,諸仏はそれらの声聞人に未来成仏の記を授するという記述に合致している。つまり,半蜘思惟菩薩は小乗の声聞人が大乗法を修習して,菩薩となって思惟する表現で,授記は声聞人に未来成仏の記を授する表現ではないかと推測している。五下層両側の図像とその相互関連1,初転法輪下層の左側上部には,仏が結蜘扶坐して施無畏与願印のポーズをとり,仏の下に2匹の鹿がいる。この場面は釈迦仏の鹿野苑での初転法輪と認められるが,場面が狭すぎて法輪が表されていない。かっ場面の右下方に比正が1人だけ小さく表され,5人という比正の人数も満たしていない。また,場面の右上方に4人の天人が何かを捧げながら飛んできて,それは釈迦の成道教化を賛嘆し供養する表現ではないかと考える。全体は簡略化された図像構成である。仏伝図の初転法輪場面は釈迦仏が小乗法で衆生を教化することを意味している。7 -
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