鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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~152~ 達が聴衆に及ぼす効果を,より抑制した形ではあるが,視覚的に実現したと見ることもできょう。プッサンのプットを研究したコラントゥオーノは,プットが「甘美さ(dolecezza) Jという抽象概念を表す比愉(コンチェット)の役割を果たしていること,そして,それが,この作品において,マリーノの詩の叙情的性格(叙事詩ではあるが)の視覚的な類比となっていると述べている(注35)。『アドーネJでは,マルスとヴィーナスは「触覚の庭」で密会する。第8歌には「触覚の庭Jの自然を詳細に描写した多くの記述(エクブラシス)があり,2人を取り囲む林,泉,木陰,小川が描写され,澄んだ水面に映る木々の影が作り出す虚実の世界が描き出される(注36)。プッサンの作品にも,これらの要素を全て見い出すことができる。さらにマリーノは第8歌で,愛の炎は泉や小川の中でも燃えると詠い,河神アルフェイオスに言及している(注37)。プッサンが描いた河の神と泉のニンフは,これを反映したものかも知れない。また,古代アリアドネ像に由来するニンフのポーズは「快楽(voluptas)Jを表すことから(注38),河神とニンフの組み合わせは,この作品を支配する愛の表現とも言えるであろう。マリーノの詩全体の性格は「甘美(dolecezza)Jという言葉で表されよう。ルネサンスに大きな影響を与えた古代ギリシャの修辞学者ヘルモゲネスは,修辞の型のひとつである「性格(己thos)Jのサブカテゴリーとして「甘美(Glukutes/Suavitas)Jを挙げ,この性格は,神話的題材,愛(エロス),ギリシャの修辞学のエクブラシスの実践によって生まれると主張した(注39)。マリーノは,タッソを通してヘルモゲネスの著作を知っていたと考えられ,神話的題材,愛(エロス),そして豊かなエクフラシスは,まさしくマリーノの詩『アドーネJを特徴づけている。プッサンが,この『アドーネJのエクブラシスを絵画化し,マルスとヴィーナスの密会を,恋人達を表す古代美術のプロトタイプを用いつつ同時に観者に「アドニスとヴィーナス」を初併させるポーズで描いたことは,プッサン特有の機知に富んだコンチェツトと言えよう。古代のプット,河の神と古代アリアドネ像に基づくニンフの形の借用も「甘美」な性格を生み出すコンチェットである。以上で検討したように,また先行研究も指摘するように,プッサンの絵画とマリーノの詩の関係は,典拠とその挿絵化といった単純な関係ではなく,様式の類似にあるのでもない(注40)。両者に共通するのは意味を作り出すその方法であり,高度な比輸(コンチェット)への強い関心で、ある。では,プッサンは,その巧みなコンチェットに

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