よって,<マルスとヴィーナス〉に,どのような新しい意味を作り出したのだろうか。筆者は,作品前景に描かれた3つのモチーフ一一矢を研ぐプット,2本の松明,意味ありげに広げられた布〔図1]のコンチェットを読み解くことで,プッサンがこの作品に与えた新たなテーマを推測してみたいと思うc矢を研ぐプット達の動作は,従来,憶を空にするという武装解除の意味と,戦争の武器の愛の武器への変貌という意味に解釈されてきた(注41)。しかし,筆者はこのコンチェットを読み解く鍵は,同じマリーノが著した『聖なる噂(Diceri巴sacr巴)j(1614 年)にあると考える。この著作は「絵画JI音楽JI天国」の3部からなり,前2部の最初の主題は,キリストの肖像(絵画)と,キリストの最後の7つの言葉(音楽)であるが,それらは,絵画,音楽,詩の関係についての理論書にもなっている。『アドーネ』と同様,この著作がプッサンに重要な影響を及ぼしたことは,既に先行研究が指摘している(注42)。マリーノは,この中でしばしば愛の矢(s凶li)を筆(pennelli)として言及しているのである(注43)。従って,プッサンがその作品の中で,矢を絵筆の比愉として用いた可能性は十分に考えられる。矢を研ぐプットの右側,画面中央前景に描かれた藤色の布の左右に,火のついた松明が描かれている〔図7)。松明はプット達の持物であると同時に,右側の赤い火は火星(マルス)を,左側の金色の輝きは,明星すなわち金星(ヴィーナス)を表している。マリーノは『聖なる噂J第2部「音楽」で,自由学芸は全て惑星と関連すると語り,修辞学を金星(ヴィーナス)に,音楽を火星(マルス)に結び付けているのである(注44)。この対応から,2本の松明は,それぞれ修辞学と音楽の比輸と見ることが出来る。さらにマリーノは『聖なる噂j第l部「絵画」の中で,聖骸布(santasindone) を絵画を比輸する重要なモチーフとして用いている。すると,修辞学と音楽を表す松明に挟まれたこの布は,聖骸布の提輸なのかもしれない。もし以上の推論が的を射たものであるとすれば,この作品の前景に描かれているのは,修辞学と音楽と絵画のコンチェットと言うことができる。プラトンの『饗宴Jにあるように,エロス(アモル)はあらゆる芸術的創作において優れた創造者であり,ひとたびエロス(アモル)が触れれば,誰もが詩人に変わる(注45)。この作品で,プット(アモル)は絵筆の隠輸である矢を研ぐことで,絵画に創造性を授けているのである。-153-
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