28ページ,205号から32ページとなって現在にいたっている。4.初期『こどものとも』の画家たち12年余りの期間である。この間,fこどものとも』の原画制作に従事した画家は延べ64『こどものとも』の体裁について,特に付け加えなければならないのはわが国で初めて横判を採用したことである。最初に横判が採用されたのは,山本忠敬が原画を担当した第64号の「とらつくとらつくとらつくJ(1961年7月号)で,文字も横組みとなり,場面はこれまでと逆に左から右へ展開することになった。以後しばらく横判の号が続き,第112号(fきゆるきゆるJ庄野英二作・絵)から縦判と横判が併用されるようになった。今日では全く違和感のない横判であるが,当時は抵抗があったらしい。「案の定,書庖からこんな横長の絵本は本棚に並べにくいという苦情が次々とくる。学校の先生方からは,国語教科書がタテ書きなのに絵本の本文をヨコ書きにするとは何事かとお叱りを受ける。Jn福音館書庖50年の歩みJ前掲p.26)ということがあった。しかし画家の表現の自由度は増した。「とらつくとらつくとらつく」を描いた山本は,I横のができたらいいんじゃないかな,とは思ってました。JI(話があった時には)もう,これだ,と思ったですよ。横判でいきたいけど,どうでしょう,と。それは,走るものだ、ったら絶対いける。Jと語った。動きのある乗り物の物語が多かった山本が最初の横判を担当したのは故なしとしない。面白いのは佐藤忠良の話で,Iこの横聞きっていうのは,描くのにね,はじめとっても苦労したですよ。でも,後で見たら非常に良かったです。Jと言う。松居が『こどものとも』の編集に直接携わったのは149号(1968年8月号)までで,人になる。これを1950年代で区切ると,1960年12月号(第57号)までの約5年間にそのうちの37人が登場している。それらの画家を,fこどものとも』への登場順に列記すると以下の通りである。堀文子,茂田井武,松下紀久雄,山中春雄,寺島龍一,朝倉摂,竹山博,太田大八,初山滋,秋野不矩,永井保,岩崎ちひろ,渡辺三郎,三芳悌吉,山田三郎,荻太郎,太田忠,長新太,小野かおる,丸木俊,池田龍雄,山本忠敬,稗田一穂,村山知義,堀内誠一,加古里子,柳原良平,佐藤忠良,坂本直行,大沢昌助,ワルワラ・ブブノワ,井上洋介,村田道紀,馬場のぼる,中谷千代子,瀬川康男,川尻泰司これを見て気がつくのは新制作協会のメンバーが多いことである。新制作協会は気164
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