鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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ているのである。「玄珪jとは古代,功績のあった人物に賜う黒色の圭のことをいうが,故人の功績をたたえる石碑に「玄珪」という尊称を用いているのは興味深い。ちなみに,山西省侯馬市東郊から出土した「侯馬盟書J(春秋晩期)C図16Jと河南省温県で出土した「温県盟書J(春秋末期)C図17Jの存在から,圭に文字を書すことがすでにあったことが知られている(注10)。また,敦』崖玉門花海から出土した前漢時代の「掲(たてふだ)Jとされているものもある〔図18a b J。これらは木製で,三角首形と半円首形があり,それぞれ上部を黒く塗っている。他にも半円首形の上部に網目を描くものもあり書される内容も様々であるが,明らかに他の一般的な簡臆とは異なる形式である。なお,これらの簡臆の中には,一端に扶りこみをつけ,把手のごとき部分を形成する「大圭Jと同じ形のものが出土していることから,c図18J掲の形も圭に由来していると考えることができょう。以上のことから,漢碑の三角首・半円首の形式も,その源が圭に求められる可能性が考えられるであろう。「圭」と一言でいってもその種類は多く,先に挙げた瑛圭,碗圭の他,大圭,裸圭,鎮圭などがあり,計十数種を数える。林巳奈夫氏は,rtL.Jに記されるそれらの用途は,祭記用と瑞節用に分けられるといい,圭を死者の魂や神を降し宿すもの,すなわち「神の恵り代としての瑞玉」であると考証している(注11)。また,rtL記』郊特牲にii墓以圭噴,用玉気也」とあるが,圭墳とは圭を柄の飾りとした柄杓形の器をいい,それを濯すなわち酒を地に注ぐ礼に用いるのは玉の気を利用するため,と記されていて,瑞玉には「気jが満ちていると考えられていたことが分かる。ここで漢碑に刻された内容を見てみよう。墓碑は主に故人の功績を述べ讃えているが,鮮子演碑に「洪徳を桂し元功を表し,君霊を聞かにし,後萌に示さん」とあり,故人の功績をあらわすことで,その人の霊魂を後世の人々に示す,という意味があった。また洞堂の正面の柱に刻された部他君石洞堂題記には「土を負いて墓を成し,松柏を列種し,石嗣堂を起立す。翼わくは二親(兄の蔀無患と弟の奉宗)の魂令(霊)に依止する所あらしめん」と,故人の霊魂を墓あるいは嗣堂に態らしめんとする内容が明記されているが,もとより郭泰碑に「碑を樹て墓を表すjとあるように,墓碑は墓の存在を示すものである。また「魂にして霊有らば,亦た斯の軌を散けよJ(鄭固碑), 「魂に霊有らば,時に来たり帰さんJ(r隷釈J巻十八,楊信碑)とあることから,故人の霊魂に「斯の助」すなわち碑の存在を知らしめ,霊魂が帰来することを願ったこと-174-

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