鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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るであろう。とすると,漢碑が霊をì~らしめるという意味をもつことを踏まえたとき,このように理解されるとき,漢碑の穿以外の装飾意匠は,霊をì~らしめるための17) ,漢碑の碑首に下向きにあらわされた龍および量の形態は雲の降下を示唆したものが窺える。さらに,衡方碑の碑文の中で,当碑のことを「霊碑」と明記している。墓碑には圭と同じく霊を恵らしめるという役割を持っていたに違いなかろう。そして墓碑は,北海相景君碑の碑文末尾に「霊魂暇(遠)く顕かにして,嘉祐を降し垂れん」とあるように,現世人々に幸いが降下することを願うのである。一方,洞廟碑の碑文内容は主に,洞廟を営造または修復して廟に霊が降り,それによって人々が幸いを受けることを祈ったものである(注12)。このように嗣廟碑も,墓碑と同じく霊を降ろして人々に幸いをもたらさんと願った内容であり,すなわち漢碑と圭との意味上での関連が示唆されるであろう(注13)。それでは,漢碑に普遍的な「穿」のあらわす意味(注14)について,注目したいのは圭と同じく瑞玉の「環jである。以下,林巳奈夫氏の考証によれば(注15),I涼」とはつまり「主jのことで,その形は正方形で中央に孔があけられている形をとり,祖先の霊を天地から呼び寄せて宿らせる能力を備えていて,霊はその中央の孔に宿ったという。また壁の中央の孔についても林氏は,日月になぞられた壁の形は「日,月そのものではなく,その「気」の部分に該当する玉器であるJ(注16)としているが,これら林説に拠るならば,その孔には霊が宿る,あるいは霊が通るという解釈ができ漢碑にあらわされた孔すなわち「穿」も,霊を宿らせるという意味があったと想定できょう。「気J,宿った霊の発する「気」の表現と想定され,ここで先に見た「量」がまさしくそうであったことが想起されるのである。また,量の両端に龍頭がはっきりとつくられてくる西晋以降の碑〔図19)をみても明らかなように,量はその後,龍を象る鴫首に変化していく。ただし一貫して龍頭が碑首の下端につくられて,龍は下向きにあらわされている。白川清氏は「龍の本体は,天上,天空に棲息すると想像された霊」であり「雲を得て降下するもの」としたが(注ではないだろうか。白石神君碑〔図13),鮮子演碑,張遷碑〔図14)にははっきりと龍があらわされている。白石神君碑にあらわされる龍は,やはり頭を下に向け降下している形であることに注意したい。ちなみに同碑には仙人もあらわされているが,碑首の部分が天上をあ175-

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