味深い見解だが,墓中に立てられ昇仙思想、が濃厚な肥致碑(東賢司「訳注肥致碑」参照。『大分大学教育学部研究紀要j17-1, 1995年)に穿がつくられていないことと矛盾する。また三角首の形状が見嵩山を象ったものとするのにも,見掃山が多く中央が窄んだ形状をとることに照らしたとき疑問が残る。岡林巳奈夫『中国古玉の研究j224~236頁岡林巳奈夫「中国古代における日の最と神話的図像J(f史林j74-4, 1991年)(同白川清「龍の形態に就いての考察J(f東洋学報J21-2, 1934年1月)(1め白鳥庫吉氏は「支那の芸術上に現はれたる陰陽思想」の中で,漢碑にみられる陰陽思想、の影響について言及している。(f白鳥庫吉全集』第9巻,岩波書居,1946 年)同『漢書』律暦志「量多少者不失圭撮」の注に引かれる応酌の説に「圭,自然の形,陰陽の始めなり」とある。側林巴奈夫『中国古玉の研究j237, 238, 249頁附林巳奈夫『中国古玉の研究j276頁178
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