(5) 例えば,甘粛省淫川陪開皇元年(581)碑像(甘粛省博物館蔵)は4層に分かれ,(8) 京都国立博物館所蔵。この碑像の仏の彫刻様式は快西省の作品に近く,中原西部も,交脚菩薩と侍坐仏は一対で表され,兜率天宮における弥勅菩薩と弥勤の下生成仏の対称的な表現であると思われる。(4) 雲岡第38窟におけるこのような図像構成は,第7・8双窟と第9・10双窟に表された類似のものを継承した。下からの第l層に維摩文殊,第2層に侍坐仏,第3層に結蜘扶坐イム,第4層に釈迦多宝仏が表されている。そのうち釈迦多宝仏が最上方に配され,かっその上を覆鉢状にしており,多宝塔の造形となっている。題記を持つ陪代の侍坐仏はいずれも弥勤であることから,この碑像の第2層の侍坐仏も弥勤と考えられる。淫川陪開皇元年碑像の図像構成は麦積山第10号碑像と対照できるが,前者は弥勤菩薩の代わりに弥勅仏が表されている。(6) 水野清一・長麿敏雄『雲岡石窟』第10洞,京都大学人文科学研究所,1952年,図(7) 水野清一・長贋敏雄「雲岡石窟』西端諸洞,京都大学人文科学研究所,1955年,図版74B。地方に出たものと考えられる。京都国立博物館編『京都国立博物館蔵仏教彫刻』便利堂,1984年,図版13。(9) 台北歴史博物館『北朝例教石刻霊芸術j1997年,図版130側水野清一・長麿敏雄「雲岡石窟J第10洞,図版550ω 『雲岡石窟』西端諸洞,図版780同水野清一「雲岡石窟における二三の因縁像Jr羽田博士領寿記念東洋史論文集』京都,1950年。(13) 李静傑「定光保授記本生図補考Jr故宮博物院院刊j2001年第2期。また,I中国北朝期における定光仏授記本生図の二種の造形についてJr美学美術史研究論集』同水野清一・長贋敏雄f雲岡石窟J第9洞,京都大学人文科学研究所,1951年,図同雲岡第38窟北壁の腰壁中央には乗馬者と乗象者が表されている。乗馬と乗象の図像は仏伝図中の出家および入胎を想起させ,つまり出と入に関係しているイメー版130第17・18号,1999・2000年。版270-10-
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