鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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⑮ 明治期の博覧会出品用工芸図案の調査・研究24年に附属図書館が設置され,昭和45年に芸術資料館が附属図書館から独立する形で4月24日に300円で東京美術学校によって買入された960枚の図案であり,I和漢画模一一東京芸術大学所蔵明治33年パリ万国博覧会出品工芸下図を中心に一一研究者:東京芸術大学大学美術館専任講師横溝慶子本研究の目的は,明治期における万国博覧会出品や輸出向け工芸品の図案のうち,内務省・農商務省の製品画図掛が制作して全国の工芸家に配布した図案を編纂した「温知図録」の未調査の図案約1000枚および製品画図掛廃止以後の博覧会出品作品の一方向を示し,その後のあまり進んで、いなかった大正時代までの工芸図案史にとっても重要な資料と位置付けできる明治33年(1900)パリ万国博覧会向けの工芸品の手彩色下図類の調査,およびディジタル画像による網羅的な公開であった。「温知図録」については,東京国立博物館に所蔵されている資料がその巻次から判断すると完全に揃っていないため,その欠けている部分が少しでも解明される可能性があるという期待で調査に臨んだが,残念ながらすべてが東京国立博物館所蔵分の写しであったこと,および所蔵者がその公聞を現段階では許可していないことがあり,期待ほどの成果があげられない。よって主に新知見を述べることになっている本報告では,後者の明治33年パリ万国博覧会向けの工芸下図類を中心にすすめることとする。明治33年パリ万国博覧会出品用の工芸下図明治33年パリ万国博覧会向けの工芸下図類が含まれている資料とは,東京芸術大学大学美術館と附属図書館に分かれて保管されている『下図類J(注1)という名称、で登録されている手彩色あるいは墨書の960枚図案である。もともと東京芸術大学の前身である東京美術学校における美術品および図書類などの教育資料はいっしょに帝国図書館の建物を借りた「文庫J(明治39年設置)と呼ばれた施設に保管されていたが,昭和設置され,以後は管理体制が完全に分離されている。『下図類Jはもともとは明治42年本jという分類で登録されたが,分類や大きさ別に軸装7巻と冊子体に表装されたため,冊子体の15冊は「和漢書jに組入れ図書館資料となり,軸装の7巻は芸術資料館の資料となった。つまりもとは同じ性格の資料であるにも関わらず,小さめの図案は一般書扱い,大きめの図案は美術品扱いを受けることになった。調査の結果,960枚す187-

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