⑫ デューラーの〈幻影〉について一一ルネサンスの夢に関する研究一一研究者:国立西洋美術館主任研究官佐藤直樹1.はじめにアルブレヒト・デューラー(1471-1528年)が1525年に自分の見た悪夢を水彩で表わしたウィーン美術史美術館所蔵の〈幻影}Traumgesichtは〔図1],ルネサンス期にヨーロッパを席巻した終末論的世界観の影響下に表わされたものであるという解釈が支持されてきた。確かに,キリスト教的な終末論が,宗教改革の嵐の中にあったドイツのテゃユーラーに強い影響を与えたことは事実であって,そこに異論はない。しかし,それだけの解釈にとどまってよいのだろうか。美術家が,自分の見た夢を写す,すなわち外界の視覚的刺激に影響されず脳内で純粋に作り出された精神的画像と向き合い,それを平面に写し替えるという行為は,中世の芸術家たちが意識的に行うことはそれまで決してなかったことである。この作品は,芸術家が自我に目覚めたルネサンス期だからこそ成立した美術史上の転換点ともいえる重要な作品と言えるだろう。こうした特筆すべき事実にもかかわらず,図像学的な解釈を適応できない作品ためか,この作品に関する研究は少なく,十分な研究がなされているとは言いがたい。デユーラーが素描の下に書き記したメモの内容を信じるならば,夢を表わしたこの水彩素描は油彩画や版画等の準備図案なのではなく,目覚めの直後,そのイメージが色槌せないうちにテキストと同時に書き留めた記録ということになる。夢で見たイメージをそのまま表現することは,現代の我々にとっては何ら特殊な造形活動にはあたらない。しかしそれは,16世紀において革命的な出来事であった。筆者は,夢を記録するというテ。ューラーの行為が,どのような精神的・心理的状況を背景に成立したのかに興味がある。終末的な予言が流布していたという社会的事実とは別に,夢を「記録する」という造形活動の背景には,デューラーが自分の夢のイメージ自体に関心をもっ動機が必要で、あろう。本稿では,デューラーがこの情景をスケッチするに至った原因に迫りたい。また,本稿は「ルネサンスの夢Jという研究の始まりであり,デューラー以外のルネサンスの美術家と夢の関係も今後調査していきたい。-205-
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