II.作品の現状ウィーン美術史美術館クンストカンマー所蔵(Inv.Nr. 5127)の本作品は,<アルブレヒト・デューラーの芸術本}Albr巴chtDurers Kunstbuchという230点の美術作品が収められたコレクションブックのFo1.24に貼られている。13点が素描で(そのうち8点がデューラー自身による素描),テゃユーラーの銅版画が82点,1点がミラーイメージによるコピー,残りの134点がデューラーの木版画と確認されている。さらに4枚,<黙示録〉の連作が貼られずに添えられている。製本は,1560年にマインツで書籍印刷を営むフランツ・ベーヘムによってなされ,厚紙に子牛の革で装丁を施した表紙にはIKVNS四UCHAlbrecht durers von NumbergJと刻印が打たれている。本の寸法は47.5X37cm, 17帳からなるが,現在は切り取られて失われた頁,あるいは頁が張り替えられれたものなど異動が多い(注1)。このコレクションブックの由来はチロル大公フェルデイナント二世の1596年の遺産目録fo1.456'に記載のあるIKunstbuch Albrecht Dur巴rsJとされる。しかしその後,インスブルックの美術蒐集家であった収税局長アントン・ファウントラーが水彩素描〈幻影〉を所有していたことが1811年に報告されている(注2)。さらにファウントラーは1815年には,現在は失われたベンによる風景素描を含む計4点の素描を所有していたとされ(注3),1822年に没した後,ウィーン,ベルヴ、エデーレ下宮のアンプラス・コレクションに〈幻影}<ヴィーナスとアモール}<鷲鳥と座る農夫の噴水の図案〉の3点が遺贈されることとなった(注4)。しかし,この素描の来歴は複雑で,クンストカンマーの未出版の作品目録には次のような記載がある。「かつて,皇帝のアンプラス城の宝物庫に収められていたこの〈芸術本〉は,過去に行方知らずとなっていたが,オーストリア皇帝の元に1806年戻された。そしてインスブルックの収税局長アントン・ファウントラーによって引き受けられた。1806年のことであるJ(注5)。この記述から,ファウントラーは皇帝(あるいは側近)の信頼の下に〈芸術本〉を「管理」する立場にあり,宮廷に頻繁に出入り可能な身分であったということがわかる。その後〈芸術本〉は,ファウントラーによってインスブルック大学の図書館に移管されているが,その際,本素描がそこに含まれていたとの記述はこれまで発見されておらず,ファウントラー自身もこれについて何のメモも残していないことから不明のことが多い。いずれにせよ1822年にデューラーの〈幻影〉が他の素描と共にアンプラス・コレクションに戻されるまで,この作品はファウントラーが「発見」し,所有していたこ206
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