で16回も起る惑星の会合は,大洪水と最後の審判の予兆としてヨーロッパ中で国際的ここに書かれている内容は,テoユーラーの〈幻影〉でのテキストと同質のものだ。一方は「奇跡J,一方は「夢」という違いこそあれ,双方ともに奇怪な体験であり,それを図と文章で記録したという点で,デューラーの作品中唯一比較できる対象である。テ。ユーラーの記述からも,この十字架の奇跡は決して良い徴候ではなかった。それは,超自然的な現象あるいは前兆に対する恐怖,すなわち差し迫った世界の終末観から生じたこの時代全般に広がった憂欝な気分の表象であったからだ。そして1525年のデユーラーの夢は,20年後にもなおそうした気分が反映されていたのであろう。しかし,ローゼンタールは,この夢の素描が単なる偶然の悪夢や抑圧された精神がもたらすような,ありがちなヴィジョンではないと断じ,この大洪水のモチーフを歴史的な出来事に跡付け,真の意味を暴こうと試みた。それは,1499年にテューピンゲン大学のヨハネス・シュトゥッフラーとウルムのフラウムが出版した「暦JAlmanackと関連しているとする。なぜなら,その暦は1524年2月に洪水が起る予言をしたからである。この暦は,欧州に大きな論争を巻き起こし,1517年のアゴスティーノ・ニーフォによる『洪水の偽りの予言について』を皮切りに膨大な数の小冊子がヨーロッパ中で印刷された。予言を真実とするか,偽りだと非難するか,小冊子の内容はそれぞれだが,天文学者以外の人々を巻き込んだ論争であったことは事実である。1524年のうちに双魚宮な議論となり人々をパニックに陥れた。1517年から1524年までの期間に57人の著者による133点の異なる小冊子が確認されているほど話題となった。デューラーがこの大論争に無関心でいられたはずがない。小冊子に書かれた内容だけでなく,版画によるセンセーショナルな挿図もまた彼の心に入り込んだであろう(注10)。1521年,シユトゥッフラーの予言を受け継いだ弟子のヨハネス・カリオン(注11)は,1524年の星座の位置から政治的に悪い影響が生じ,国家と社会に危機が生ずるという予言を小冊子で出版した〔図5J。すでに1499年以来,数多くの予言が,悪い徴候は魚座の位置に由来するとしていた(注12)。この扉絵は,3つに分けられた図の左上が大雨による洪水によって町が水没している様子が表わされ,右上では1521年に確認された茸星が描かれている。下には,1521年のヴォルムス会議における騎士と教皇派の不協和が予言通りに表わされている。カリオンにとって,ヴォルムス会議は,まさに星がもたらした世界の不調和の現れに他ならなかった(注13)。そしてこの図が正しく表わしているように,まずは1521年に雪星があらわれ,政治的な混乱を招き,社会一209-
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