(注25)。琴星の表わされたデューラーの作品と言えば,我々は直ぐに〈メレンコリアoをIV.苦星,そしてメレンコリカーの見る夢テ。ューラーは1498年にすでに木版画〈黙示録}[図7Jで,空から無数に降り注ぐ星の恐怖のイメージを視覚化していた。この版画は1523年のシェーンによる魚座から降り注ぐ大水の図像〔図6Jの手本となったものである。また1497-98年頃と推定される小型板絵{'織悔する聖ヒエロニムス}[図8Jの裏面には明るい色彩の茸星が表わされている〔図9J。聖ヒエロニムスは荒野で自らを石打ちながら画面外のあらぬ方向を見つめる。その先に見える幻影は,本来ならばキリストの姿であろうが,ここではおそらく裏面に表わされた茸星なのではないだろうか。不吉な予感を字んだ赤と黄色の輝きから,これから起るであろう終末的な雰囲気が窺える。筆の荒いタッチが残るスケッチ風のその描写から,今そこに見える茸星を即座に記録したかのような迫真性,まるで'1525年の洪水の夢を先取りした表現と言える。マッシングはこの雪星の描写に関して,興味深い論を展開した。まず,この板絵が発見された当初は,その輝く光の描写から慣石が燃えつつ落下する様子であると思われた。確かに,大気を飛ぶ慣石のように思われる。しかし奇妙なことに,星にまつわる現象は1498年には何一つ観測されなかったばかりか1495-1500年の5年間には慣石,茸星ともに確認されていない(注22)。但し,アンツェレウスキーが主張するように(注23),もっと遡って1492年11月7日パーゼルの北方40kmのエンジ、スハイムで確認された慣石をテゃユーラーが見たとする説もあるが,慣石落下が日中の出来事であったことから,このような夜の描写にはならなかったはずである。マッシングは,それゆえこの描写が実写ではなく黙示録的なヴィジョンの表現であり,テやユーラーが初めて夢を視覚的に記録したものであるとするシリンクの推論(注24)を全く正しいとした。デューラーの木版画連作〈黙示録〉は1496年には始まり,1498年にはドイツ語とラテン語版が出版された。黙示録のテキストには,天空の劇的なドラマが多数綴られていることから,デューラーは黙示録的世界から心理的影響を受けていたのであろう思い出す〔図10J。すでに何度も指摘されているように,聖ヒエロニムスの茸星と,この銅版画に表わされた善星の表現は16年を隔てているものの,星が流れていく方向や昨裂する光にその類似が看て取れる。そしてこの2点の作品を比較することでさらにもう一点の類似に気付くことになる。〈ヒエロニムス〉では表裏で分かれていた「韮星」-212-
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