oを論じており,この解釈に関わる非常に重要な指摘を行っている。が1498年前後に(おそらく)夢でみた菩星を,その後出版された多数の小冊子の「標と「何かを見つめる人間像jが〈メレンコリア〉では画面一つにまとめられている。すなわち聖ピエロニムスが見ているかもしれない慧星の幻視を〈メレンコリア〉にも当てはめることができないだろうか。彼女の視線の先にあるものは実は画面の背景左にある茸星であって,それが〈農事暦〉などで見てきたように不吉な前兆,さらには洪水の予言であるなら,この作品に新しい解釈が一つ加えられる。そして,デューラー語的イメージ」によって琴星の夢を再び思い出し不吉な予兆と確信したとするなら,この憂欝な女性像はデューラーの精神的な自画像となろう。ヴァルター・ベンヤミンはその著書『ドイツ悲哀劇の根源』の中で〈メレンコリア「むしろ古代では,メランコリーは,弁証法的に見られていた。アリストテレスの規範的なある箇所では,メランコリーの概念のもとに天才的資質が狂気と結びつけられている。『問題集』の第30巻で展開されているようなメランコリーの症候群は,二千年以上にわたって影響を及ぼしてきた。エジプトのヘラクレスは,狂気に陥って破綻をきたす前に最高の偉業へと駆り立てられる天才の原型である。〈最も集中した精神的活動とその最も深刻な対立〉がこのように隣り合わせているところが常に同じ強烈な戦慨を与えて,見る者を引きつけてやまないのだろう。さらに,メランコリックな天才的資質は,とりわけ予言の領域にはっきり現われるのが常である。メランコリーが予言能力を助長するという考えはに依拠しており一一一古代的である。J(注26)ベンヤミンの説をふまえた上で,デューラーがアリストテレスに通じていれば,有翼の女性像が「夢の幻影jを見つめているという解釈が成立する。アリストテレスの「夢占いについて」という論文は『自然学小論集』に収められており,そこで,夢は決して神に贈られたものではないとし,予言と共に次のように定義している。「その証拠はこうである。すなわち全く下等な或る人々が未来を予見し,かつ鮮明な夢を見る,そこで夢は神よりも贈られたものではない。むしろいわばおよそその本性が鏡舌で黒胆汁質[憂欝質]の感じやすい人があらゆる種類の幻影をみるのである。なぜなら彼らは多く,かつあらゆる種類の仕方で動かされるが故に,事実に類似したものを見るような場合にも,出会うことになるからである。J(注27)アリストテレスによれば,予言的な夢を見る者は黒胆汁に支配された憂欝質な者とアリストテレスの『夢占いについて』という論文
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