いうことになる。この内容をテゃユーラーが知っていたとしたら,予言的な夢を見るという体質から自らを「メランコリカー」であると信ずるに違いない。すると,果たしてデューラーはアリストテレスの夢の記述を知っていたかどうかがここで焦点となる。テマユーラーの友人ピルクハイマーはアリストテレスの翻訳もしていた。しかし亡くなる年の1530年に『霊魂論1. II.lを出版しているのでここでは関係はなさそうだ(注28)。それならばデューラーが,他の人文主義者を介してアリストテレスを知ることができたかどうかが問題になる。最も可能性が高いのは,神聖ローマ皇帝マクシミリアン一世に仕えた人文主義者コンラート・ポイテインガーである。ポイテインガーは学問と芸術に関する皇帝の顧問を勤めただけでなく皇帝の血統に関する相談も受けていた。そして皇帝のプロパガンダのために新たなモチーフとして「エジプトのヘラクレス」を提供したことがすでに明らかにされている(注29)。エジプトのヘラクレスは,先のベンヤミンの引用からも知られるように,アリストテレスが『問題集』で憂欝質であることを指摘している。ポイティンガーは,ヘラクレスとマクシミリアンの血縁関係を「作り上げる」だけではなく,ヘラクレスのサトゥルヌス的性質から皇帝は人類を救うために自己犠牲へと導かれることを進言したことも知られている。そのプロパガンダは〈ゲルマニアのヘラクレスとしてのマクシミリアン>[図11Jとして表わされた。エジプトのへラクレスの末商でゲルマニアに蘇ったヘラクレスが世界を救うという。マクシミリアンがヘラクレスを好んだ、のは,その自己犠牲的な性質のみからではない。「どの芸術においても卓越している人物は皆憂欝質であるjと聞かされたマクシミリアンは,芸術面においても自らをメランコリカーにしたかった(注30)。それゆえ,エジプトのヘラクレスとの血縁関係がポイテインガーによって証明される必要が生じたのである。ポイテインガーが参照した文献がアリストテレスの『問題集J第30巻の冒頭部分であることはほぼ間違いないだろう。そしてボイテインガーとデューラーは宮廷で接触している。1512年から開始された皇帝のための大型木版画〈凱旋門〉の制作指揮をデユーラーが命じられ,1517年に完成するまで,デューラーはこの仕事に精力を注ぎ込むことになるからだ。この間に〈メレンコリア〉が制作されたのは,まさに宮廷での人文主義者サークルとの接触が大きな要因となっている。デューラーはポイテインガーとの仕事において多大な影響を受けたのだろう。あるいは,{凱旋門〉の制作で重214
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