鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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注要な千支割を演じたピルクハイマーは,アウグスブルクにおいてポイティンガーと〈凱旋門〉のプログラムに関して話し合ったことが記録されており(注31),ピルクハイマーを経由してアリストテレスがデューラーに伝わったことも考えうる。この論考の主題であるデューラーの夢の素描は,これまでの考察から次のように結論付けることができるだろう。デ、ユーラーは洪水の夢を見た。そしてそれが実現するのを畏れつつ慌てて記録した。なぜなら〈メレンコリアnで流れる葦星に予言させた黙示録的ヴィジョンがまさに夢に現れたからである。メランコリカーの見た夢は実現するという恐怖が,メランコリカーである自分によって今,現実になろうとしている。1524年に実現しなかった予言は,デューラーの中でまだ終わっていなかったのである。(1) 詳細な異動に関しては次を参照:Helmut Trenk,“Kat. Nr. 9, Kunstbuch Albrecht Durers", Albrecht Durer im Kunsthistorischen Museum, hrsg. von Karl Schutz, Milano : Electa, 1994, S.89-90.また,クンストカンマーにはこの作品の製本の帳に関する図解があり筆者は作品を閲覧する際,その資料を入手できた:Kunstbuch Albrecht Durers, Inv. Nr. 5127, Lagenbild und Blattfolge. (2) Sud-Deutsche Mischellen fur Leben, Literatur und Kunst, 61, Karlsruhe, 1811, S.247.この雑誌による記述が,デューラーの〈幻影〉を初めて世に知らしめたものであった。(3) Curiositaten der physisch-literarisch-artistisch-historischen Vor-und Mitwelt, 4, 1815, S. 358. in: Helmut Rupprich (Hg.), Durer, Schr併rlicherNachlas, Bd. 1, Berlin, 1956, S.214.ルプリヒは,1815年の雑誌報告によって初めて本素描がファウントラーのもとにあったとするが,本来は注2に指摘したように遅くとも1811年には確認されている。(4) Joseph Heller, Das Leben und die Werke Albrecht Durers, 2 .Bd.der ersten Abtei回lung, Bamb巴rg,1827, S.34 u.44 ff. (一巻目はデユーラーの伝記の予定であったが出版されていない)。(5) Tre此,op. cit., S.92. (6) トレンク氏は,想像の域を出ないが,1809年にナポレオンはチロルの支配権をパつ山

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