鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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していたとされる(注4)。此処でのマサッチオによるフレスコ画連作は,15世紀半ば頃から盛期ルネサンス期に至までの美術家たちにとって,当時最も尊敬を集めていた,技芸をたかめるために最良且つ不可欠な手本であった。ミケランジエロは,その模写による素描習作をしていた時に,仲間のトッリジャーノを立腹させ,トッリジャーノに鼻をへし折られる(注5)。その頃ミケランジエロは何ヶ月もマサッチオの絵のあるその礼拝堂に通っていた,とヴアザーリの記述にはある。つまり,そのことは,ミケランジエロにとって,更には当時の美術界にとってマサッチオの存在が如何に大きかったかを物語っている。実際に,<貢の銭〉で収税吏にコインを手渡すミケランジ、エロによる模写が残っている。トルナイは,そこにジヨットとマサッチオに共通する造形性とモニュメンタリティーを認め,それをミケランジエロが恰も彫刻を対象とした模写のように素描した結果と見なす。そのことは,ミケランジエロが用いたクロスハッチング(cross-hatching)の素描法により,明示されているのである。それは,マサッチオがプランカッチ家礼拝堂のある同じサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂の回廊に描いたとされる〈サグラSagra(献堂式)>で式に参列する人物像の構築性においても当てはまる。ミケランジエロの模写は,単にイリュージョニスティックな対象の把握を可能にしたり,コントラストをつけるための影の描法ではなく,クロスハッチングによって彫刻の表面を描出するという,いわば彫刻的な方法に依って対象を捉えるという純粋に造形的な目的のためにあると言ってよい(注6)。それ故に,プランカッチ家礼拝堂の〈共有財産の分配とアナニアの死〉でベテロから共有財産の分配を受け取る婦人が抱く赤子と,まだ十代半ばのミケランジ、エロの最初の作品と目される〈階段の聖母〉で聖母に抱かれる幼児キリストの何れもが,ほほ同様の筋骨遣しい“ヘラクレスのような"造形性を見せていることは,同じ芸術的意図に基づく必然的な創造の所産であったと思われる〔図1J [図2J。また,オルサンミケーレ聖堂の壁寵のプレデッラに制作された〈聖ゲオルギウスの悪龍退治〉を表すスキアッチャート技法による浅浮彫りに見る遠近法の作図法に則した画面構成が〈貢の銭〉に反映しているように,マサッチオにとってドナテッロの作品がよき手本であったことを考えるならば,ミケランジエロが此処でのスキアッチャートになる浮彫りを彫り進めるに際して,同じく低浮彫りのドナテッロの〈聖母子〉から着想を得ていることも注目に値する(注7)。が,ミケランジ、エロのこの浮彫りでは,スキアッチャート(低浮彫り)i支法に拠りながらも,ドナテッロのように微妙に222

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