を,自らのスタイルで再創造しながらも,その本質を把握すべく描くのである。それと同じ批評家的鑑識眼は,レオナルド・ダ・ヴインチの中に,当時の発展史的な美術史観の要約でのジヨットとマサッチオに対する評価を,マサッチオを再生したジヨットとして明確に位置づけることによって,生ぜしめる。即ち,レオナルドは,次のように述べる。「画家が,もし仮に,他の絵画に題材を選ぶならば,卓越せざる絵画となろう。しかし,もし彼が自然、の事柄から学ぶならば,よい結果が得られよう。既に見たように,ローマ人以降の画家たちにおいては,彼らは絶えず、互いに模倣し,時代とともに,斯くの如き美術は衰退したのである。これらの者たちの後に,フイレンツェ人ジヨットが到来する。彼は,(自らの師匠チマブーエの作品を模倣することに満足せずに,また…せずに)山羊や同じ種類の獣しか住まぬような,うら寂しい山に生まれた彼は,芸術に類似する自然に取り固まれていたので,岩の上に山羊の行動を素描し始めた。彼は,その観察者であり,かくして,故郷にいたあらゆる動物を描き始め,それは,この画家が,並々ならぬ研究の後に,彼と同年輩の美術家のみならず,何世紀も過去の美術をも凌いだ程であった。この画家の後,美術は再び衰退する。何故なら,誰もが既にある絵を模倣していたからである。こうして,世紀とともに美術は衰微する。何故なら,誰もが既にある絵を模倣していたからである。こうして,世紀とともに美術は衰微する。それは,マサッチオの縛名で呼ばれていたフィレンツェ人トンマーゾが現れるまで続いた。マサッチオは,完壁な作品をもってして,師の中の師である自然とは異なるものを題材にしていた者たちが如何に虚しい努力をしていたかを明示した。J(注目)此処でレオナルドもマサッチオをジヨットの再来として明瞭に捉えていることは実に興味深い。また,ジヨットにまつわる逸話では,何よりもまず,素描が美術の基本要素であることを説いているように思われる。実際に,周知のように,フィレンツェ両派の根本的な芸術理念は,明快な構成という意味をも含むデイゼーニョ(disegno)という言葉に集約される。ヴァザーリの『美術家列伝』でも美術家を評価する際の尺度としてこのデイゼーニョという言葉が用いられていることが多い。例えば,rパオロ・ウッチェッロ伝jでは,もしウッチェッロが遠近法に費やしただけの時聞を素描に充てたならば,ジヨット以来の優れた画家になっていたであろう,というように素描の重要性を強調する(注20)。そして,このデイゼーニョに基づいて類い希な造形性225-
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