鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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を表現したのがジヨットとその約百年後に登場したマサッチオであった。従って,このデイゼーニョの概念は,15世紀フィレンツェ派の展開において基本をなすものであり,そして,ジヨット,マサッチオともに,フレスコ画法による壁画制作でこの理念を十全に発揮し,体現する。就中,フレスコ画法の場合,遠近法の理論に則って聞いた窓として定義される絵画にあっては消失点の高さを視点と同じに設定することによって,その窓の向こう側の絵画空間とこちら側の観者のいる空間が同ーの現実空間と規定されるが故に(注21),必然的に絵画空間に描き込まれた対象は写実的且つ彫刻的(立体的)になる。恐らくは,この技法上の特質をミケランジ、エロは充分に理解していたのであろう。従って,ミケランジエロがフレスコ画をギルランダイオから学んだ経験は,彼がシスティーナ礼拝堂の天井画を制作する際にも大いに役立つた筈である。こうして,ミケランジエロは,ジヨットとマサッチオと同じようにモニュメンタリティーに富んだ彫刻的造形性をより一層スケールの大きな形で人間像に与えることになる。プランカッチ家礼拝堂のフレスコ・サイクルでは,{階段の聖母〉のインスピレーシヨンの源泉になったと思われる〈共有財産の分配とアナニアの死〉において,造形性を高めるために,遠近法に依拠した画期的な工夫が凝らされている。つまり,プランカッチ家礼拝堂の祭壇側で,祭壇を挟んで描かれた二つの場面,即ち,左側の〈己の影で病者を治癒するベテロ〉と右側の〈共有財産の分配とアナニアの死〉は,両者に共通する同ーの消失点をこの2場面の間中央にとっておりそれによって礼拝堂内のフレスコ画連作は絵画空間の全体的統一性とリアルな造形性を獲得しているのである(注22)。ミケランジェロは明らかにマサッチオの画業を尊重していた。それは,彼がマサッチオのフレスコ画の模写を積極的に行っていたことや,既述のように,マサッチオの絵の中の人物像を自作に活かしていたことからも推察される。正にマサッチオこそは,丁度マサッチオにとってのジヨットがそうであったように,盛期ルネサンス初頭に活動を開始したミケランジエロにとって欠くべからざる先駆者(precursore)であった。そして,マサッチオ及びドナテッロがほぼ同年代の年長の彫刻家ナンニ・デイ・パンコの彫刻作品から力強く簡潔なモニユメンタリティーを学び,それを自らの内に取りW -226-

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