注込んだように,ミケランジエロも,その彫刻家の作品にインスピレーションを得た立像を制作したように思われることも単なる偶然ではあるまい(注23)C図3)C図4)。ジョルジョ・ヴァザーリの「マサッチオ伝」で最後に挙げられているアンニーパル・カーロの銘文は,その意味で,マサッチオの芸術がミケランジエロにとってどれ程重要な意味をもっていたかを我々に端的に示してくれる(注24)。(1) c. de Tolnay, The Youth 01 Michelangelo, Princeton, 1969, p.11.住居はViadei Bentaccordiにあった。(2) G. Vasari-Milan巴si,Tomo VlI, pp.138-139. A. Condivi, La Vita di Michelangelo, Firenz巴,1998, pp. 9 -10. (3) C.deTo1nay, op.cit. 1969, p.65. ジヨットとマサッチオのみが重量感と有機的形態の結びつきを行い,それがミケランジエロを惹きつけたのであろうとして,トルナイは,ミケランジエロの素描の意味を探ろうとしている。(4) G. Vasari-Mil叩esi,Tomo II, p.299.“; tutti i piu ce1ebrati scultori巴pittoriche D'Annibal Caro Pinsi, e 1a IlUa pittura a1 vero fu p訂i; L'attegiai, L'avvivai, 1e diede i1 moto, Le diede affetto. Ins巴gniil Bonarroto A tutti gli altri, e da me solo impari. アンニーノすル・カーロ我,描きたり。我が絵は真実に等しかりき。そを表し,活かしめ,そに動き与え,情愛を注ぎたり。ボナッロートよ,他の者総てに教え給え。されど,汝は,我のみから学び給え。-227-
元のページ ../index.html#236