鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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反映した構成であるとの解釈が可能である。しかし,人道に関しては,r往生要集』から,全ての場面を説明するだけの記述を得ることはできず,r往生要集』を逸脱して絵画化が行われていることは明白である(注5)。また〔表1Jにおいて整理した本図の全体構成に再び目を向けると,閤魔王庁幅を中心に,念仏功徳幅2幅,六道幅12幅という,左右対称性を備えた構成が浮かび上がってくる。さらに,ここに表象された信仰世界は,i六道輪廻からの,念仏と閤魔信仰による救済」と換言することができょう。以下ではこれを『往生要集』の説くところと照らし合わせてみる。〔表2Jには,r往生要集Jに説かれた信仰の有様を,その日次に従って図解した。『往生要集』は,一般的に阿弥陀念仏による極楽往生を説いた浄土教の教科書であるように理解されるが([表2Jでは,大文第四「正修念仏」から第八「念仏証拠Jまでが念仏について記述した部分),念仏を唯一の往生手段とするのではなく,天台宗学の本流である法華経に基づく諸行往生,つまり観想や作善といった種々の手段を駆使した往生についても,同時に推奨されている([表2Jでは大文第九「往生諸行」という部分)。つまり源信は『往生要集Jにおいて,念仏往生と,諸行往生という二本立ての浄土思想を説いているのである。これを先に見た,聖衆来迎寺本15幅の全体構成と比較してみる。本作においては,六道輪廻からの念仏と閤魔信仰による救済という信仰の形が描かれていた。〔表1]に再び目を向けると,3段目と4段目の六道輪廻を描いた12幅については,[表2Jの大丈第一の六道の記述に該当し(注6),2段目の念仏による救済,という部分については〔表2Jの大文第七「念仏利益」のうち,さらに「引例勧信」という部分に該当する。ところが,1段目の「閤魔王庁図」に見られる,閤魔信仰的要素は,r往生要集Jにおいては非常に稀薄であり,聖衆来迎寺本に描かれた,閤魔王庁の内容は『往生要集Jの説くところと甚だしく誰離する(注7)。また逆に,r往生要集』に説かれる諸行往生の要素に関しては,聖衆来迎寺本において全く採用されていない。聖衆来迎寺本に看取される『往生要集』との,この様な距離感が,本作の制作意図を考察する,重要な手がかりであると,稿者は考えている。聖衆来迎寺本制作に先だって,比叡山浄土教の信仰的支柱であるはずの『往生要集Jに説かれた思想に,新たな解釈を持ち込んだ信仰上の画期があるはずである。そしてそれが本作制作に関するく思想・場・人〉を考察していく上での重要なヒントを与えてくれるのではないか。こ234

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