私云尊道親王御自筆也祖師慈道親王写本裏判先師尊円親王加銘。イ乃所准正本也。度、公家武家奉行人等令実記される。比叡山横川に始まった三十五三昧会は,13世紀の段階で各地に広まっており,ここに記録される二十五味会が,横川を本拠地とするものであったか否かという点に関しては,この史料からは即断できない。しかし前述の(史料1)(史料2)から看取される,九条家と横川の親密な関係を考え併せると,この二十五味念仏は,横川に本拠を置く念仏講であった可能性が高いと考えられる。(史料4) 『玉葉.1(文治三年(1187)四月九日条/国書刊行会編『玉葉』よりヲ|用)「又近日有往生要集談義,澄憲法師己下五人学生予其事云云jここには兼実が,安居院澄憲法印(1126-1203)を招き『往生要集』談義を催した旨の記載がある。この安居院流とは,(史料1)にも登場するが,12世紀後半比叡山において,澄憲・聖覚(1176-1235)親子により創始され,その後唱導を通して広く活躍した天台浄土教の一流である。兼実や慈円とも関係が深く,しばしば兼実のために仏事を執り行っている。(史料5)2件『華頂要略.1(巻五十五上古文書集の内,A I慈鎮和尚建暦目録J建暦三年(1213)二月,B I慈鎮和尚査会御譲状案」貞応元年(1222)六月,r天台宗全書.116 より引用)検者也和尚末流沙門尊道親王記之続目被書之去承元四年十月有記置状。同相具此状進之也譲進門跡相伝房領等事A I慈鎮和尚建暦目録jI(端裏書)I慈鎮和尚建暦目録普臨控諸説.J -239-
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