鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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1991年~1996年-245-(5) 人道表現の中でも特に,人道苦相2幅には『往生要集』を逸脱して広範なモチー(6) ただし人道苦相については部分的に『往生要集Jを逸脱する要素が盛り込まれて(7) r往生要集』においても,大丈第一「厭離職土」の章には,閤羅人,または閤魔羅(8)横川霊山院と華台院に関する先行研究を以下に掲げる。4, 1982年佐藤哲英『比叡山浄土教の研究』百華苑,1979年福原隆善「澄憲の『往生要集疑問jについてJr印度学仏教学研究.164, 1984年平雅行「嘉禄の法難と安居院聖覚Jr日本中世の社会と仏教J塙書房,1992年(9) i六道絵」と「法華経絵jの図像的な関連については,既に鷹巣純氏「恒吐者の図像一六道絵と法華経絵の図像的接点J r美学美術史研究論集.111, 1993年,梶谷亮治「我が国における仏教説話絵の展開Jr仏教説話の美術.11996年,によって指フが採用されており,何か特別な意図があったのではないかと推測される。いることを先に指摘した(注5)。王という名で閤魔王が登場するが,その記述は聖衆来迎寺本の閤魔王庁表現を描かしむるには,あまりに簡単なものである。永井義憲・清水宥聖編『安居院唱導集上巻J角川書庖1975年※中・下巻は未刊山田昭全他,講式研究会編「二十五三味講式Jr大正大学綜合仏教研究所年報』小峯和明・山崎誠「安居院唱導資料纂輯J1 ~ 6 r国文学研究資料館調査研究報告12~17.1.堀大慈「二十五三味会と霊山院釈迦講一源信における講運動の意義一Jr日本名僧論集4源信.1.1983年阿部泰郎「慈円作『六道釈』をめぐりて一慈円における宗教と歴史および文学」『文学.18司4,1997年「嘉禄の法難と聖覚・親驚Jr親驚とその時代J法蔵館,2001年摘されている。(付記)本論は2001年度鹿島美術財団「美術に関する調査研究j助成による研究成果報告であると共に,1999年度花王芸術・科学財団助成,並びに2000年度日本科学協会・笹川科学研究助成による研究成果も一部反映するものである。

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