鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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248~ ⑫ 紅摺絵研究一一紅摺絵から錦絵に至る技法の変遷について一一研究者:平木浮世絵美術館学芸員松村真佐子はじめに浮世絵の作品の多くが,ある個人に対して唯一の物として描く事を意識された「肉筆jと比して同一物を多量に制作できる「版画」という形式を取った事が最も浮世絵を発展させた要因のーっと言える。版画によって発展した浮世絵についての考察を加えるにあたり,本格的な多色摺木版画「錦絵」に至る以前の二から三色の初期的な多色摺版画「紅摺絵」を取り上げ,その創始・発展に着眼した。「浮世絵」と称される江戸庶民塞術は菱川師宣によって創始された。それまでの文化が上方主導で行なわれていた当時としては,江戸の自我の確立をも示すといっても過言ではない事象である。版本の挿絵を描くことを専らとした師宣であったが,やがてその絵が好評を得,絵が主体の絵本を数多く刊行,天和(1681~ 1684)期頃には絵のみを独立した墨摺の一枚絵を発表した。延宝元年(1673)に初代市川団十郎によって江戸の荒事が始まり,この時役者絵を専門とする鳥居派が現われた。清信・清倍らは「瓢箪足駈弼|描jの描法でその勇壮な芝居を絵画化し,筆での彩色が加えられた。この筆彩の様式は使用された鉱物系の絵具「丹」に由来し,r丹絵」と称される。丹の不透明で重厚な色彩と,r荒事Jの躍動感溢れる鳥居派の役者絵が相侯って発展し,r丹絵jは享保(1716~1736)初期頃まで制作された。享保頃から重厚な色彩の鉱物系の色彩から,植物性の絵の具を使用する軽やかな彩色の「紅絵jが始まる。時を同じくして墨や絵の具の膝を強くし光沢を持たせたり真鍛の粉を蒔く,豪華な彩色の「漆絵」が制作される。紅絵・漆絵の着彩は丹絵に比べると丁寧で,着物の柄の一つ一つにまで及んだ。この紅絵・漆絵が描かれてから約二十余年の時を経て,初の商業的多色摺版画「紅摺絵」が刊行される。紅と緑の二色で摺る紅摺絵への移行は,紅,緑,紫,藍などの絢嫡たる色彩の漆絵から比べると,色彩の観点からは明らかに退行するものである。しかし,同質のものを量産出来るという事は,商業的には大変な利点であったのであろう。この「紅摺絵」によって,江戸の多色摺は始まり,錦絵へと発達したことを思えば,一時の色彩の退行は必要な犠牲であった。

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