従来の「紅+青」の紫色から「黄十紅Jで桂,I黄十青」で緑色の表現が可能となり,複雑な作品では,三種の色板で六種の色彩を現出している。赤,青,黄の基本の三色をそれぞれ掛け合わせると,それぞれの中間色,緑,紫,糧となる。これは,I色相環図jを見ると分かるように,ほとんどあらゆる色彩を手に入れたも同然であり,多色摺に遜色のない世界へと近付けた理由が分かる。これらの色彩の移行は,当時学問的に判断されたわけで、はなく,実際の作品制作するにあたって経験値的に導き出された答えであったであろうが,非常に理に適った道を歩んでいる事が分かる。これらの掛け合わせを,最も効果的に現わすには色をずれなく摺り重ねることが重要である。当初は,紅摺絵期の見当は,錦絵の時代の「かぎJIヲ|き付け」の二箇所に設けた見当とは異なる可能性も考えた。しかし,宝暦頃のものと思われる版木を実見する機会を得たが,そこには,Iかぎj円|き付け」の二箇所の見当が確認出来た。浅い見当であるため,後のもの程には紙がしっかりと固定しなかったとも推測は出来るが,実際作品を見ると,見当のずれとは一概に結論付けられない外れ方のものがある。というのは,あるー箇所は合致しているにも関わらず,そこから離れた端では,何処かを軸にしたとも思われない方向に色が枠から外れているのである。ここでは,当時紅摺絵に使用された紙の性質による所が大きいのではないかと推測している。紅摺絵の制作には,西の内や美濃紙が使われた。これは,多色摺の摺刷に耐えうるように錦絵において使用された厚手の奉書紙に比べ,少し薄手の紙である。美濃紙と奉書紙を濡らして調べたところ(注11),美濃紙は薄いために乾き易く収縮もし易い。また,紙の漉きが密な奉書紙と比べて,美濃紙は漉き目が疎であるために,力のかかり具合いによって歪みが出る可能性が高いことが想像出来た。実見していないがベルリン東洋美術館蔵鳥居清満面「枕相撲J[図8)の色ずれの様子を見ると,見当の問題もありそうではあるが,I紅」は基本的には輪郭線に合っているが,左の少女(禿)の彩色が左と上にずれが見られる。また,I灰青」の場合は,左方の女性(遊女)で、は合っているが,少しずつ左方向へのずれが見受けられ,そのずれは画面の右に行くほど甚だしくなっていく。このずれ方は,紅よりも緑,緑よりも灰青の色が大きく思われる。着彩が,薄い色から行われることを考えると,色を摺る順序と革離の甚だしさが比例していると考えられる。後に摺るものほど紙の状態が変化していったとは考えられないであろうか。宝暦13年頃に制作された「市村羽左衛門の白拍子J[図7)を見ると,墨判と三色の253
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