注年(1) 二代田市川団十郎によって刊行された初代田十郎の追善の俳譜書。色摺版画は「御影供JI伊勢物語JI秋海業JI牒蜂」の四図。(2) 鈴木重三氏によると,円形から外れて無色の凹娘の見られる作品があり,見当法の一手段として用いられた可能性が指摘されている。(3) 石井研堂『錦絵の彫と摺j(昭和4年)の「第一章錦絵以前の版画」の項に初出,色摺研究に一石を投じた。(4) 町田市国際版画美術館展覧会「江戸の華浮世絵展錦絵版画の成立過程J,1999(5) 現存のものは,延享期の作品が多い。(6)絵暦は紅摺絵の初期にのみあり。浅野氏の報告によると「寛延四年を境にバッタリと止むJ(摺物展図録解説)とあり,吉田伸之氏はこれは寛延4年頃の禁令を踏まえての事と述べられている。(8) この時,市村座は新築。評判が良かったのか,この芝居に由来する作品は多く,清満や春信などが描いている。(9) 藤掛氏は,I初期に於ては紅を主色として,これに緑の一色を加へて,二色摺が行はれたのである。次で藍もしくは黄を加へて三色摺となり,紅と藍を摺り合わせて紫色を出すに至り…(略)Jと藍と黄が同じくして摺り始められたとし,紅摺絵期を「第一期二色及び三色を用ひた時代jと「第二期四色及び五色を用ひた時代」の二期に分けられた。(10) 赤,青,黄色などの色みの変化を示し,反対色や同系統色などを円周上に並べた図で表わすと分かり易い。「此絵ハむかし宝暦時分吉田おそへ殿依召御殿内御姫様へ御琴御指南ニ上りし節,おまつ幼少之時附参候而,頂戴いたし申候絵也。天明六丙午としごかっ十二吉辰知此ニとぢ申し候。おたかもの也」の書付があることと,明和元年発行の『絵本花葛羅Jの人物表現が錦絵に近くまでなっていることから錦絵創始直前のものと考証されている。(7) 紅か緑のいずれかに濃淡のある絵具を使用し,色板を三種使用した例がある。255 ω 現在の紙ではあるが,手漉きの奉書紙と美濃紙を使用。同小林氏は『春信』において,旧埜村家本(現,砂子の里資料館本)の画帖の中に
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