鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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DJ (月見の半身像)である。賛は道元の自筆で,建長元年(1251)の秋に写した真影上述のように,道元の頂相に関わる諸問題をさまざまな角度から論じた。その頂相は,永平寺に秘蔵される由緒ある稀な名作であるといえよう。(2) 道元の観月像について道元の頂相の中で,最も古いのは現在福井県大野市賓慶寺に所蔵される観月像〔図だと判る。絹本著色で,素朴な色調で,写実的な手法で五十一歳の道元禅師の半身の頂相を堂々と描いている。賛は「気宇爽清山老秋,観天井,時月浮,一無寄,六不収,任騰騰粥足飯足,活瀧瀧正尾正頭,天上天下雲白水由。建長己酉月園日越州吉田郡吉(田)祥山永平寺開聞沙門希玄自賛Jと題している。その自賛は確かに道元の白書のものである。それと同じ書体のものは,永平寺に所蔵する「典座教訓五ヶ条J(図3Jであり,賓治2年(1248)12月21日,道元が四十八歳のときに書いたものである。自賛の字より三年前である。晩年の書はまるみが出て,秀麗かつ優雅な書体を見せている。天福元年(1233)中元の日道元三十三歳のときに書いた「普勧坐禅儀J(図4Jの鋭い筆致と明らかに変わってきたのである。如浄の半身像(岡崎本知浄禅師頂相)との関連賓慶寺に所蔵される天童如浄自賛頂相以外に,かつて岡崎正也氏が所蔵した如浄禅師画像〔図EJがあり,絹本著色で,かなり小幅の頂相であり,画像は,腰から上の半身像,左手は右手の上にかさねて,右袖を握り,袈裟は八角の環を有し,青緑色で地紋あり,葉は壊色の茶黄色の紋紗のような生地を用いる。それは,曹渓以後の正規の伝衣であり,図lに示した京都東福寺所蔵の無準師範頂相と図2に示した京都正伝寺所蔵の冗庵普寧頂相の着用の袈裟とまったく同じ形式である。落ち着いている面貌で,顎はやや上げ,目線もやや左上方を仰視して,祖師が持つ高尚な風範が横溢している。特に,大鑑禅師清拙正澄の真筆賛語があることは注目に値する。賛日「玉殿簾垂向奉時,九直祥鳳啄神芝。千尋太白深如澱,劫外金竣度一紙。天童長翁潜禅師遺像嘉暦元年内寅真浄清拙正澄敬賛」とある。清拙正澄(1273-1339)は,嘉暦元年(1326)丙寅八月に来朝し,同年の末まで博多に滞留したので,その賛語は恐らくその聞に永平寺五世義雲禅師がその真影の賛を清拙正澄に求めたのではなかろうか。清拙正澄は翌年正月に北条高時の請に応じて,鎌倉に赴き,2月10日に建長寺に入住したのであ265

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