という俊足があり,彼らによって,曹洞宗の法脈は越前一隅に限らず,各地に勢力を伸張したのである。曹洞宗中興の祖として仰がれている。現在神奈川県横浜市鶴見にある曹洞宗大本山諸巌山総持寺の所蔵の埜山紹瑳自賛頂相〔図GJ(93. 3X37. 8)は,国の重要文化財に指定され,美術史上に唯一名を知られている曹洞宗の頂相である。像は,元応元年(1319)の自賛があり,禅師五十三歳の姿と知られる。「洞谷記」によると,もとは能川、|の永竹寺常住物で願主は僧守呆と伝えられている。画像の右方下部に永竹寺の文字が記されている。孤雲懐奨の頂相と同様に,臨済風の頂相形式のもので,絹本著色で,華麗な色彩を有する大きな龍の丸紋の法被は高く曲京に覆い,右側に錫杖を立てかけている。大きい八角の環に付いた袈裟を着け,両手に払子を把り,体の重心はやや左向きで,威風堂々として寛大な曲求に扶坐し,楕円形の沓台に僧履を並べて置き,上端は全幅の約四分のーのスペースで九行の真筆賛語が綴られている。賛は,i誰識庵中不死人,未揺掌握鎮煙塵oi.裏々威烈無等匹,三尺竹箆奪剣輪。器宇廓落,絶学天真。眉毛争到不疑地,端的眼精又不親。官元応元年己未九月八日,洞谷紹瑳自賛」となっている。その両像は,極めて写実的で,生き生きとして禅師の風釆を描出している。典型的な頂相形式で,伝神画の中での傑作である。美術史上に輝く逸品といえよう。ところが,二祖孤雲懐突の頂相と太祖埜山紹瑳の頂相は,もう既に,前代の宏智,如浄,道元の頂相の持つ枯淡,洗練された画風および素朴,清雅な情調を無くして,かえって濃厚,写実的な手法を駆使して,華麗,高貴な雰囲気を充満させた臨済風の頂相形式に流れ込んでいるのである。もちろん,そのような頂相はだんだん定着されて,後に形骸化され,類似な作品が多くなった。そういう意味からも,宏智,如j争,道元の頂相は,無視してはならないと思うのである。(三)永平三世徹通義介禅師の頂相に関して徹通義介(1219-1309)は,上述のとおり,もと日本達磨宗の徒であったが,若くして師の懐霊と共に深草にいった道元の門に投じ,そして道元に随侍して越前に下り,精励修行して,道元の原始僧団の中で重要な役割を果たした。道元没後,二祖孤雲懐実の法を嗣いだが,しかし,彼は終始先師の懐霊との達磨宗としての師資関係を保持し,懐藍の拙庵徳光下の嗣書を伝承している。そのような意味で,義介は僧団の中で如何に異質な存在であったかということが窺われる。後,永平寺を離れ,加賀大乗寺268
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