,卒中E口土口呈ロA,印可書,つまり,師より真筆の宗門列祖の中に名を師の後に書き添えるもの。そのようなことがあったからこそ,初期曹洞宗祖師の頂相に関する諸問題も多岐的に現れたのではないかと考えている。中国宋朝禅林における師弟聞の心印の単伝が行われる際には,師家は凡そ以下の信物を弟子に付与する。1 ,法衣(袈裟信衣)の付与。2,頂相,すなわち師家(自己)の肖像画を伝法弟子に与えて,証契となす。3,墨蹟法嗣の証明。B, 2条目の頂相に師の自賛を請い,時に或いは先輩に当たる高僧に賛を求めることがあり,殊に師が自ら頂相上に筆を染めるところの賛は,付与された僧に対して,格別に重要な証明となる。C,詩文,書簡など4,払子,竹箆,語録など法物しかし,上記した信物の中,頂相というものは,ある意味で特殊なものと見られる。それは,祖先の伝神画像を描くことは古代中国の祭杷,儀礼に早く成立した風習であり,宋に入札新興の禅林はそのような祖先崇拝の風習を取り入れ,諸祖の画像を作り,その禅寺の開山や歴代住持や法系上の祖師などの謹辰(忌日)に当たる仏事の礼拝像(掛真)として用いる。のちに,伝法の際に法信として使われたようになったのも,そのような目的が含まれているからであろう。したがって,生前,死後に関わらず,記念的礼拝肖像画が描かれる慣習は,遅くとも,北宋時代(唐末,五代に始まる可能性もある)後期には禅林社会に定着された。それを鎌倉時代より南北朝時代に亙り,多くの入宋僧,入元僧たちはその風習に従って,師家の頂相を得て将来した。その後日本禅林が既定方式として援用し,さらに制度化された。つまり,日本禅林における師弟間の伝法儀式は,法衣,印可状のほかに,師の自賛のある頂相が欠かせないものとなったのである。そうでないと,法について完全な形式と認められない。しかし,宋,元の禅林では,必ずしもそうではないと思う。無論,頂相というものは,禅林にとっては,必備品となり,それに応じて,多くの270
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