③ オルカーニャ作タベルナーコ口一一大天使ミカエル及び「聖母被昇天J図とペス卜(1348年)との関係についての一解釈一一一研究者:慶慮義塾大学大学院丈学研究科後期博士課程フィレンツェ,オルサンミケーレ聖堂に残るオルカーニャ(1308頃ー1368/69)作タベルナーコロ〔図1]は,1352年から1359年にかけて,Iオルサンミケーレの聖母信者会Compagniadella Madonna d'Orto San Michel巴Jの注文で,奇跡を起こすことで有名であった「聖母の板絵」を収納するために制作された(注1)。幅3.90mの正方形の基部上に,11. 40mの高さで聾えるこのタベルナーコロの各四面は,三層に分かれており,その下部には,それぞれ「聖母の生涯Jから取られた諸場面と七美徳の擬人像等の彫られた胸壁が設けられている。その上には,I聖母の板絵jを見せるための,通常はスクリーンによって閉じられていたと想定されるアーチが三方向に聞いているが,板絵背後の東面のみは「聖母の埋葬」及び「聖母被昇天」の浮き彫りを持つパネルで閉じられている〔図2J。猶,これらのアーチと東面のパネルは上部の狭間に十二使徒の像を,上)jに半身の預言者及び天使たちから成るフリーズを持つ。更に,東面と「聖母の板絵Jの問には急な階段の設けられた狭い空聞がありこれを伝ってタベルナーコロ上部のクーポラの基部に登ることが出来る(注2)。各々の頂きに盾を手にする天使を冠した破風と尖塔とによって四方を固まれたこのクーポラは,自身の頂にも剣を手にする大天使ミカエルの像を戴いている。本作品が設置されたオルサンミケーレ聖堂は,1285年以来,教会としてでなく小麦市場として使用されてきた場であり,作品制作当時も市場として機能していたが,同時に,敬度な信仰の場でもあった。年代記作者ジョヴァンニ・ヴイツラーニによれば,1292年に,このオルサンミケ}レ市場のロッジアのピラスターに描かれていた聖母が,病人や体の不自由な者を治す奇跡、を起こし始めた。既にこの前年には,上記の聖母国を称えるための俗人による信者会,1オルサンミケーレの聖母信者会Jが創設されていたが,この奇跡、をきっかけとして,岡市場にはたくさんの巡礼者が訪れるようになった(注3)。この最初の市場と聖母国は1304年の火災で焼失されることとなったが,この後すぐに市場の再建及び第二の聖母図の板絵制作が為され,1336年には規模の拡大と「聖母の板絵」に相応しい場を作るための更なる小麦市場の再建がフイレン出佳奈子-276-
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