ツェ共和国政府によって決定,着手される。この新たな小麦市場とそこに置かれた「聖母の板絵」の様子は,1340年ごろの制作とされる写本挿絵に描かれている〔図3J (注によれば,この時点で既に第二の「聖母の板絵」がオルカーニャによる本作品に先行するタベルナーコロに収められていたことが分かる。しかしながら,このタベルナーコロは,1347年に新たな「聖母の板絵jが信者会によってベルナルド・ダッデイに注文されたのを機に,1350年から新たに制作計画が進められ,52年に着手されたオルカーニャ作品に置き換えられることとなる。つまり,オルカーニャ作品は,先行する同様のタベルナーコロに変わる新たな作品として,完成されたばかりの第三の「聖母の板絵」を収納するために制作されたのである。本稿は,これまであまり指摘されて来なかった先行するタベルナーコロと第二のそれとの図像プログラムの相違点に注目し,1348年にイタリアを襲ったベストの存在を考慮に入れつつ,オルカーニャ作品が独自に持つ図像に対して新たな解釈を提示しようとするものである(注5)。実際,注文主である「オルサンミケーレの聖母信者会」に,このベストの時期に多額の奉納金が納められ,その一部が作品制作に用いられたことは(注6),本作品の図像プログラムとベストとの無視できない関連性を示唆している。先に挙げた写本挿絵中の先行するタベルナーコロに関しては,その断片が現存し,様式的特徴からジョヴァンニ・デイ・パルドゥッチョに帰属されている(注7)。このタベルナーコロとオルカーニャ作品との図像上の違いとしてまず注目したいのは,先行作品の頂きの十字架に対して,オルカーニャ作品の頂きには大天使ミカエルの像が置かれている点である。更にまた,先行作品中に「聖母の生涯jからの諸場面が確認されないのに対して,オルカーニャ作品においてはこれら諸場面の中でもとりわけ「聖母被昇天」が大きく取り上げられている。両作品の相違点としてのこれらの図像は,これから見ていくように,実はいずれもベストとの関連から解釈され得るモチーフであると筆者は考える。猶,大天使ミカエルは,これまでの研究において必ずしも注目される存在ではなかった。しかしながら,フイレンツェ共和国の百合の紋章の施された自身の光輸を建物の天井ヴオールト交差部に持ち,この光輪に頭部を接するようにタベルナーコロの頂きに置かれた彼の存在は制作計画の段階から彼が重要なモチーフと考えられていたことを想像させる〔図4J。4 )。これは,1338年から39年に起こった飢謹の際の市場を描いたものであるが,それ277
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