鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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Romani}は,14世紀当時,タベルナーコロに収められていたことが当時の文献から知城CastelS. AngeloJと呼ばれるようになった(注14)0I聖グレゴリウス伝」においてこれらのモチーフとベストとの関連性を考察するにあたり,ここで,本作品と同様に「聖母の板絵」を中に収めていた「タベルナーコロ」の例を参照したい。ローマ,サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂,パオリーナ礼拝堂内の聖母子図{SalusPopuli られ(注8),1450年の聖年の際にこれを見たフイレンツェ人,ジョヴァンニ・ルチェツライによれば,このタベルナーコロは,Iオルサンミケーレの聖母のそれに極めてよく似て」いた(注9)。デ・アンジェリスによる版画が伝えるこのタベルナーコロは〔図5),その形体及び構造(ただし前面に張り出している部分は15世紀の付け加え)がオルカーニャ作品に類似することから,本作品の形体上の源泉のーっと既に指摘されているが(注10),そこに収められていた「聖母図Beataevirginis imagoJが,とりわけペストに関連して病人を治癒する奇跡の力を持っと考えられていたこと,更にこの板絵のために集められた俗人による信者会が存在していたことを考慮するならば,このタベルナーコロが形体のみならず機能の面でもオルカーニャ作品に類似していたことが分かる(注11)。実際,両信者会の会則集(CapitoliあるいはStatuti)によれば,彼らは各々の「聖母図Jの看守であり,規定された祝日(あるいは平日も)に「聖母図」の周囲を蝋燭の明かり等で飾るなどの共通する役割を持っていた。更に,これらのタベルナーコロに収納されたそれぞれの「聖母図」は,通常はヴェールあるいは扉によって閉じられており,祝日などの機会にその覆いが開けられ,姿を現すものであった(注12)。従ってこれらの点に,両タベルナーコロ及び信者会の機能上の類似性を見ることが出来よう。しかしここで注目したいのは,このサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の「聖母図」とペストとの密接な繋がりである。この繋がりはヤコブス・デ・ウォラギネ作『黄金伝説.1(1265年頃)中の「聖グレゴリウス伝」において詳細に語られているが,同様のエピソードを伝える13世紀の他の記述も存在する(注13)。それらによれば,教皇グレゴリウス一世の治世(590-604)においてペストが流行した時,彼が,その終鷲への祈願をこの「聖母図」に託し,これを持ち運ぶ行進を催したところ,ベストの有毒な空気が清められると同時に,天使たちが聖母を称える墳歌を歌うのが聞かれた。この頃歌に応じて教皇が祈りの言葉を唱えると,クレシェンティウスの城の頂きに,血で汚れた剣を拭い,鞘に収めようとする天使の姿が確認された。以降,この城は「天使の278-

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