⑫ 19世紀末イギリスのジャポニスム148番地に設立され,現在も同じ場所で営業を続けている老舗画廊である〔図1]。そ一一一ファイン・アート・ソサエティのi舌動をめぐって一一一研究者:横浜美術館学芸員沼田英子.はじめに幕末から明治にかけて外交や貿易の面で日本と最も密接な関係にあったのはイギリスだった。イギリス国内では,外交官,貿易商,旅行者が持ち帰る日本の品々や珍しい話,あるいは写真入り雑誌が提供する情報によって日本に対する人々の興味は高まり,また1862年のロンドン万国博覧会で日本の美術品が紹介されると日本趣味は大衆に広まり,一大ブームが巻き起こったことが知られている。美術におけるイギリスのジヤボニスムの研究は,これまでホイッスラーなど数人の作家についての個別研究にとどまり,文化的社会的側面からの研究は遅れている。本研究では,イギリスのジヤボニスムの実態を知る手がかりとして,ロンドンのファイン・アート・ソサエテイを取り上げる。多岐にわたるその活動のなかで,ジャホ。ニスムは同ソサエテイの特色のひとつであった。そして,同ソサエテイは,博物館等の公的機関とは異なり作品の売買に関わる商業画廊だ、ったことから,大衆的レベルでの日本の美術品の普及と受容に直接的な影響力を持っていたと思われる。また,日本美術の石itf究者でコレクターでもあった初代マネージング・ダイレクター,マーカス・ヒユイッシュが,同ソサエテイの活動の内容にどのような影響を及ぼしたかも興味深い点である。.ファイン・アート・ソサエテイについてファイン・アート・ソサエティは,1876年にロンドンのニュー・ボンドストリートもそもファイン・アート・ソサエテイは,ロンドンで当時流行していた複製版画を制作,販売する版画商として設立された。エリザベス・トンプソンなど当代の人気画家やレノルズ,ゲインズ、パラなどオールド・マスターの有名作品の複製版画を制作して予約販売し,1890年までに約200点を出版したと言われている。しかし,ヴイクトリア朝の多様な美術の状況を反映して,開業間もなく,版画にとどまらず書籍の出版,絵画,彫刻の展覧会の開催など多面的な活動を始めて成功し,1890年代には「ロンドン287
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