(注11)。.ファイン・アート・ソサエティとジャポニスムオリエンタリズムは,設立当初からファイン・アート・ソサエテイの活動の一つの特色だった。20世紀前半まで,年数回オリエンタリズムのテーマの展覧会がほぼ毎年開かれた(注7)。なかでも日本美術は「ファイン・アート・ソサエテイのホール・マーク」と言われるほど特別なものだった(注8)。そのファイン・アート・ソサエテイのジヤボニスムは,エドワード・ウィリアム・ゴドウインによってデザインされた同画廊のファサードに象徴されている。それは,1881年にヒュイッシュがゴドウインに改築を依頼したもので,ルネサンス,ゴシック,クイーン・アン様式などの折衷様式であるが,二階のアーチ型の開口部を持ったバルコニーの奥には,日本の障子を思わせる細かい格子状の桟のある窓がデザインされている。これはゴドウインの家具におけるジヤボニスムの経験を反映したものといわれている(注9)(図2J。また,パリにおけるジヤボニスムのパイオニアだったジークフリート・ピングとの関係も注目される。ファイン・アート・ソサエテイの1888年12月20日の議事録には,1889年l月から1年間,ソサエティの二階をピングに貸すことが合意されたと記録されている(注10)。ピングはその頃日本の美術品をヨーロッパ諸国に広め販売するため,フランス国外で自分の所蔵品を展示していた。ファイン・アート・ソサエティは,イギリスにおけるピングの活動の拠点として画廊のスペースを提供し,その代わりにジヤボニスムの情報やパリの美術界の情報を入手していたのではないかと考えられるまた,展覧会カタログに掲載された日本美術商の広告の多さも同ソサエテイの日本美術との関連を示している。例えば,日本や中国のテキスタイルや雑貨を扱うLiberty&Co.,中国および日本古美術商TheJapan巴seGallery,横浜に本庖があった日本美術輸入商のS.EIDA,日本および東洋美術商のArthurKnapp & Co. ,日本および中国美術商のM.Kataokaなどの名前を見つけることができる。.ファイン・アート・ソサエティの日本関係の展覧会ファイン・アート・ソサエテイが開催した日本関係の展覧会は,日本美術を紹介する展覧会とイギリス人画家による日本をテーマにした作品の展覧会に大別される。1920年までに開催された日本の美術品を紹介する展覧会は次の通りである。1888年「日本の美術(LoanExhibition of Japanese Art) J, 1890年「北斎(HOKUSAI,Drawings 289
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