and Engravings) J, 1893年「日本の漆芸,金工,根付け(JapaneseLacquer, Metalwork and Netsukes) J, 1909年「珍しい日本の版画RareJapanese Colour Prints) J, r日本の人形(Japanese Dolls) J, 1910年「第2回日本の版画(S巴condExhibition of Japanese Prints) J, 1911年「日本の小柄,拝(JapaneseKozuka and Kogai) J, 1914年「古い日本の扇(OldJapanese Fan Mounts and Miniature Drawings) J, I広重(HIROSHIGE,Engravings in Col-our)J。1888年の「日本の美術j展は,大英博物館での「日本の絵画j展とパーリントン・ファイン・アーツ・クラブでの「日本の版画J展とほぼ同時期に開催され,その年ロンドンはたいへんな日本美術ブームがあったと想像される。ファイン・アート・ソサエテイの出品作品は他会場との出品内容の重複を避けて工芸品に限定され,AからYまでのケース25台と展示室の壁面を使って,総数1300点あまりが展示された(注12)。出品作品の多くは個人コレクターから借用したものでありカタログの出品者リストには54人の名前が挙げられている。その中には,サウス・ケンジントン博物館館長フイリップ・カンリフ=オウエンをはじめとして,アルマ=タデマ夫妻,フレデリック・レイトン,モーティマ・メンベスなどの画家,ウィリアム・アンダースン,ホイッスラーのパトロンだったウィリアム・アレクサンダー,ジークフリート・ピング,そしてヒュイッシュ自身の名前も見られる。カタログのなかでヒュイッシュは,これをイギリスで聞かれた始めての体系的,学術的な日本美術展と位置づけ,作品構成とカタログ編集と会場の解説パネルには日本人カタオカ・マサユキの協力を得たと記されている(注13)。このカタオカ・マサユキという人物についての詳細は不明だが,今回の調査で断片的な情報を得ることができた。カタオカは,1888年の「日本の美術」展開催のための資金獲得のためにファイン・アート・ソサエティで販売できるよう,展覧会の数ヶ月前に日本で大量の美術品を買い付けたことが知られている(注14)。また,ロンドンのハノーパー・スクエア8番地の中国・日本美術商M.KATAOKAの広告が1889年の「アルフレッド・イーストの日本の絵画」展をはじめいくつかのカタログの巻末に掲載されており,同一の美術商だと思われる。また,ヴイクトリア・アンド・アルパート美術館には,1895年に葛飾北斎,鳥居清長,菱川師宣の浮世絵をM.Kataokaから購入したという記録が残されている。また,同館には,1887年に美術図書室が新規収集した日本の書籍と版画の目録を作成するためにKataokaを雇用した際の記録がある。推
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