鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
303/670

~294 ごとの説明に先だ、って,日本の風土や文化についての説明にかなりのページ数が割かれており,これらの知識なしに異国の美術の図像や用途を本当に理解することはできないという認識にたって書かれていることがわかる。また,その説明が欧米人の独断ではなく,日本の識者(カタオカマサユキ)の意見に基づいている点が明記されている。さらに,このサイズでこれほど広範囲に日本美術を網羅し,しかも挿図が豊富で、かつ廉価なものは他にないと強調しており,この本がイギリスの大衆に正確な日本とその美術の情報を伝達することを第一の目標として出版されたことがわかる。ヒュイッシュは,また,r芸術の日本J誌の1891年5月号に「収集の方法(1'art de collectionner) Jという論文を寄稿している。その内容は単なる流行ではなく深い研究と理解のもとに作品を収集しょっとする新世代のコレクターに向けての,かなり具体的な手引き書として書かれている。作品の鑑定の項では西洋向けに作られた粗悪品に注意を促し,十分に予備知識を得ることを奨めている。また,どのように買うべきか,また購入した作品をどのように保管すべきかについても具体的に書かれている。これらの著作の背後にある,彼の日本美術に対する問題意識を,雑誌r19世紀j(1888 ができるだろう(注23)。それは1888年にロンドンで3つの日本美術の展覧会が開催されたのを機に書かれたものである。彼はその中で,1886年から87年にかけて欧米を視察したフェノロサを含む日本政府の「美術取調委員」が,帰国後の報告書のなかで日本美術を盲目的に称賛し,将来は世界の美の規範となるだろうと結論づけていることに反論し,日本美術は極限の完成度を達成した後,今やデカダンスに陥り危機的状況にあると警告している(注24)。彼はその原因と回復の可能性を次のように分析している。明治維新以降の身分制度の変化や生活の欧風化によって,日本国内で旧来の日本的装飾品の需要はなくなった。代わって西洋人がその享受者となったが,大多数は日本美術に対する正しい知識や趣味を持たずに盲目的に購入している。この西洋人の無節操な購入や自分勝手なデザイン変更の注文が,複雑な流通構造と結びいて,日本の職人に無理な低賃金労働を強要し製品の粗悪化を招いている。ヒュイッシュは,今後優れた日本の美術品の生産が復活するためには,西洋のコレクターが日本美術に対して正しい理解を持つことが必要で、ありそれに併せて日本政府が稀少な古美術品の輸出を禁じるか買い上げて自国の博物館に収蔵するべきだと提言している(注25)。年3月号)に掲載された「日本美術は終わったのか?Jという評論から読みとること

元のページ  ../index.html#303

このブックを見る