注圃結び本研究を通し,ファイン・アート・ソサエテイの日本美術関連の活動が明らかになり,さらにその背景には,ヒュイッシュの日本美術に対する深い愛着と現状に対する危機意識があったのではなかという推論に至った。彼は美術商としてイギリスの大衆に向けて日本美術品を販売しながら,そのことが日本美術の質の低下を招いている現実を見抜いていた。学術的な展覧会の開催,解説のついたカタログや廉価なハンド・ブックの出版など一連の活動は,優れた日本美術の復活のためには,西洋の大衆的なコレクターが日本や日本美術に対して正しい理解を持つことが必要だという信念に支えられていたのではないだろうか。また,イーストやパーソンズを日本に派遣して風景や植物の水彩画を描かせたことにも,浮世絵に捕かれた理想化された風景ではなく,現実の日本の姿をイギリス人の目で確かめるべきだという共通の主張があらわれているように思われる(注26)。Art Sc巴ne",in The Grovesner Galleη, A Palace of Art in Victorian England,巴d.by Susan P. Cast巴rasand Colleen Denney, Yare Center for British Art, 1996, p.147 (2) The Fine Art Society StoηPart 1, Th巴FineArt Soci巴tyPLC, London, 2001, ナル・エッチングを推奨した。(3) Fabennan, pp.147-48 とに対する名誉致損の訴訟のこと。1879年ファイン・アート・ソサエティの重役会は,ホイッスラーにヴェネチアに旅行して版画を制作し帰国後成果を発表するという仕事を依頼し,旅費,滞在費を含め150ポンドで契約を結んだ。帰国後その成果は「ヴェネチア・セット」として出版されファイン・アート・ソサエティで展示された。TheFine Art Society StoηPart 1, pp. 7 -8 ; Farbennan前掲論文p.154 (5) 125 years of Exhibitions at the Fine Art SocieりPLC,th巴Fin巴ArtSoci巴ty2001,に過去に開催された全展覧会のリストが掲載されている。p. 7ヘイデンは複製版画は版画の芸術的位置を引き下げていると指摘し,オリジ(1) Hilarie Fabennan,“‘Best Shop in London', the Fine Art Society and the Victorian (4) ラスキンがホイッスラーの作品を「公衆の顔にペンキをぶちまけた」と評したこ295
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