鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
312/670

14Jなど,細やかな筆で絵解きのように画面が展開している。中央の浬繋図も,多くせる。一方で細部へと目を転じれば,潤いのある細密な淡彩で人々の平和な暮らしぶりが描かれ〔図13J,敬輔画の軽妙な側面が示される。日野・浄光寺蔵の「八相浬繋図J(リスト2)においても,敬輔は釈迦の物語を細密な絵にしている。本作は大幅で描表装を含めて350cmの全長をもち,中心に浬繋図を,その左右両側に仏伝図を描く本格的な仏画作品である。両側の説話画帯には釈迦の誕生をめぐる「生天下天」から,初めての説法「転法輪jに至るエピソードが描かれ,例えば,釈迦誕生の場面では八大龍王とともに現れた龍が誕生仏に産湯を濯く場面〔図の従者にまでゆきとどいた描写と彩色が施され〔図15J,敬輔が本格的な仏画制作を担うに適う絵師であった事実を,雄弁に語るといっていい。仏教経典を主題とする絵画は敬輔の主要な作画の領域であり,敬輔伝に皇太后や仁和寺法親王の需めに応じて「十六章図Jr天下和順図Jを制作したとある等(注10),敬輔は仏画制作,特に経典を絵解きするような絵画において,高い評価を得ていたことがわかる。そのことは敬輔が描いた「選択集十六章之図Jゃ「無量寿経是茶羅」が版行されて流布し,今に多く伝わることからも評判の高さが知られよう。調査の結果,東京・増上寺にも精鍛な彩色の施された「選択集十六章之図」の所蔵が確認され,敬輔の江戸下向との関連もふくめ,関東も含めた広汎な享受の在り方が窺われる。以上,これまでの調査結果を基礎に,敬輔画の基準作例,様々な側面にあらわれる基準的な表現,描写の報告を行ってきた。つぎに伝記についての報告を行いたい。イ云記について敬輔の伝記については近年岩田由美子氏による研究が発表され,永敬入門から残するまでの敬輔伝に再検討が加えられた(注11)。岩田氏は敬輔が公武双方の権力者へと接近するなかで絵画制作を実現してきたことを改めて検討され,r田舎絵師」とみなされてきた敬輔に対し位置づけの再考を提起された。敬輔伝は『敬輔画譜』所収の「高田敬輔翁略伝J(以下「略伝J)を基本資料とするが,記載された各々の事跡すべてに実証的な裏付けが得られているわけで、はない。今回は作品調査とともに,r略伝」の記述についても,できる限り肉付けや実証的な裏付けが得られるよう努めた。些少ながら私見を申し上げる。はじめに古硝から敬輔への継承性の問題をふくめ,r略伝」に江戸滞在中の敬輔が,-303

元のページ  ../index.html#312

このブックを見る