⑧ パチヱーコの彩色木彫への評価16世紀イタリアにおいては,諸芸術,特に絵画と彫刻の優越を巡る論争(パラゴー一一一スペインにおけるパラゴーネの問題をめぐって一一一研究者:東京大学大学院人文社会系研究科博士課程満期退学はじめにネ)が,芸術家や人文主義者たちの間で活発に繰り広げられた(注1)。しかし,スペインでパラゴーネが広く知られるようになるのは,ょうやく17世紀初頭になってからである。それまでのスペインには,イタリア経験を持つエル・グレコなどは例外として,修辞学や哲学を応用した美術理論を理解したり,著述したりする教養ある芸術家や人文主義者はほとんどなかったと言える。スペインでパラゴーネを論じるには,彩色木彫をどのように扱うかという困難な問題があった。ほとんどの著作者たちがこの問題を避けたのに対し,それに取り組んだのがフランシスコ・パチェーコであった。この点については,近年,ヘルウイツクの論文などで指摘されているが,まだ詳細には研究されていない。またスペインにおけるパラゴーネ研究も,現在のところ十分に研究されているとは言えない(注2)。論者は,パチェーコの著作『絵画芸術の実践者たちへj(1622)および『絵画論.1(1649) を検討することにより,彼がそれまで必ずしも高く評価されていなかった彩色木彫を積極的に評価し,スペインの実情を反映した具体的な議論に基づく独自のパラゴーネを展開したという結論を得た(注3)。パチェーコの提起した問題は多岐に渡っているので,具体的な美術作品との関わりについては最小限にとどめ,今回はパチェーコのテキストを中心に,パラゴーネにおける彩色木彫の解釈と評価について考察し,報告書としたい。1 .スペインにおける彩色木彫の役割中世以来,彩色の伝統が守られてきたスペインの木彫は,対抗宗教改革期において,特に重要な聖像機能を果たしていた。それらはこの時代に発展した,木造の巨大な祭壇衝立の重要な構成要素であり,彫刻家はしばしば祭壇衝立の建築部分も制作した。彩色木彫はまた,宗教行列の際は祭壇を離れ,山車に載せられて市内に担ぎ出された。楠根圭子-314-
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