qd 2.パチェーコの彩色彫刻への評価パチェーコの姿勢で一貫しているのは,彩色彫刻への高い評価である。彼は,r絵画芸術の実践者たちへJの中で,木彫も大理石彫刻も,彩色されなければならないと述の点で彫刻は絵画に依存しているJ,また「彫刻は色彩をもたない点で、絵画に劣っている」という,イタリアの先達の主張を引き継いだものとなっている。しかし彼は,自国の彩色木彫を積極的に評価する姿勢を見せている点で,他の著作者たちと一線を画していると言える。べる。その根拠として挙げられたのは,自分の彫刻の中で最良の作品は画家のニキアスが彩色したものだという,プリニウスが紹介しているプラクシテレスの言葉であった。もちろんこの主張のねらいは,彫刻を彩色する画家の重要性を強調することにある。しかし,彩色彫刻を積極的に評価する姿勢は,当時の知識人の聞においては珍しいことであったと言える(注7)。パチェーコは彫刻の彩色に優れた画家であり,肌の表現に,それまでの光沢を出す技法とは異なる,艶消しの技法を開拓した1人であった。彼はセビーリャの高名な彫刻家モンタニエースの彫刻をたびたび彩色している。「絵画論』の中で彼はモンタニエースを「私の友人」と呼ぴ,彼と共作したサン・イシドロ・デル・カンポ修道院の〈聖ヒエロニムス>[図1)を,“現在,彫刻と絵画においてこれに匹敵するものはない"と賞賛している(注8)。彼はモンタニエースと自分の関係を,プラクシテレスとニキアスの関係に重ね合わせていたかもしれない。またパチェーコは,ナポリの画家ジョヴァンニ・ベルナルデイーノ・アツツォリーニの彩色蝋彫刻を高く評価している。現在ピッティ宮の所蔵する彩色蝋浮彫〈煉獄の魂>[図2)の作者とされるアッツォリーニは,画家リベーラの義父でもあった。この連作のヴアリアントかコピーが,セピーリャのアルカラ公コレクションに含まれていた。パチェーコは同じコレクションに含まれていたジャンボローニャのブロンズ彫刻などには沈黙し,アッツォリーニに際だ、った評価を与えている。彼は自国の彩色木彫を評価するにあたり,その前段階として,イタリアの作家による彩色蝋彫刻を高く評価したのだと言えるであろう(注9)。『絵画論J2章の,修正の困難さに関する議論において,パチェーコの彩色木彫擁護は顕著である。パチェーコは複数の木材を組んで制作する方法が,スペインの彫刻家
元のページ ../index.html#325