3.素材に関する議論の質の低さを意味するものではないと主張している。そして彼は彫刻家へロニモ・エルナンデスによるキリスト像の右手が,いくつもの断片から作られていることを例としてあげている。やり直しがきかないという理由で彫刻の優越性を主張する議論は,本来,修正がそれほど困難ではない彩色木彫を扱うなら,あまり有効性を持たないわけで,内容的にこの項では,絵画の擁護よりも彩色木彫の擁護の姿勢が強いと言える(注10)。彫刻や浮彫の彩色を絵画とみなしてこれを高く評価している箇所も,パチェーコの彩色木彫擁護の姿勢のひとつと言える。耐久性の議論において,彼は彩色が彫刻を長持ちさせるのだと主張する。また,r絵画論』の他の箇所で,彼は画家が積極的に彫刻の彩色に携わり,とりわけ浮彫の彩色において,画家のみの手によって表現し得る部分を描くことを奨励している。彼は例として,アロンソ・パスケスがデイエゴ・ロペス・ブエノの浮彫に描き込んだ天使をあげている〔図3J。このように彫刻の彩色を高く評価する姿勢も,当時のスペインにおいては比較的珍しいものである(注11)。パラゴーネにおいて最もスペインの事情を反映していると思われるのが,素材の高価さと作品の価値との関係の問題である。イタリアでは,素材の高価さは芸術家がそれを手に入れることの難しさを意味する。また,素材が作品の価値を決めるという考えは愚かであるというのは,いわば自明のこととされていた。しかしスペインでは,この問題が大きく取り上げられている。これは当時スペインにおいて白大理石がほとんど採掘されず,ブロンズの鋳造技術もなかったために,国王や貴族の所持していたそれらの素材による彫刻が,いわば少数の富の象徴として見られていたことによると考えられる。芸術家の能力以前に素材によって評価されることは,絵画よりもむしろ彫刻においてゆゆしい問題であった。同じことは,祭壇衝立についても言える。セピーリヤで活動した建築家アロンソ・マテイアスは,木材が祭壇衝立の素材として不適切であると主張した。彼は1617年頃,コルドパ大聖堂の主祭壇衝立に大理石を用いるよう,司教マドローネスに嘆願している。その文中で,彼は木材に金箔を張る従来の技法を,美しさの点で劣ると批判している。祭壇衝立を覆う金箔は,新大陸貿易によってスペインが得た貴金属の豊富さを背景にしているが,木彫の衣装の部分においても,下地に金箔を貼り,その上からエ-317-
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